9.19.2018

[film] Distant Voices, Still Lives (1988)

5日、水曜の晩、BFIで見ました。

Terence Davies - 最近だとEmily Dickinsonの評伝映画”A Quiet Passion” (2016)  - のデビュー作(監督、脚本)が公開30周年を記念して4Kリストアされてリバイバル公開されたもの(これと”Heathers”が同い年、ていうのはなんかおかしいな)。 英国映画オールタイムベスト、のような企画には必ずリストされてくる作品で、ある時代のイギリスの魂を描いたようなものとして受けとめられている、ような。最初にこれの予告が流れたときも高齢の御婦人数名が”Aw..”って息を呑んで見入っている様子が感じられた。

85分しかない作品で、第一部が” Distant Voices”、第二部が”Still Lives”。

Liverpoolのworking-classの一家の1940年代から50年代初 - 戦中から戦後を描いていて、第一部で戦中、厳格でDVな父と優しい母の元で育っていく子供たちの姿を、第二部でその子供たちが大きくなって結婚したりするようになるまでを。

登場する人物や家族の個々の人格や性格について(関係や名前すらも)説明されたり立ち入られたりすることはなく、はっきりしたストーリーラインや結末があるわけでもなく、あのときあんなことあったよね、のような笑ったり泣いたり歌ったりのエピソードをファミリーアルバムをめくっていくように並べていく。その抽象度の高さを補ったり繋いだりしていくのが当時の流行歌とか歌声で、家族や親族や友人たちは集まるとお酒を呑んで目配せして、歌をみんなで歌ったり踊ったりする。

言葉は訛りがすごくて半分くらいしか何言ってるかわかんなくて、音楽も知っているのは殆どなくて、それでもおもしろいのか、というと、おもしろいの。 これってなんなのだろうか。

馬の手入れをしているときは優しい顔なのに、母や子供たちにはすぐ手をあげる父(Pete Postlethwaite)、いつも微笑みながら家事をしている母 (Freda Dowie)、家の軒先や部屋の隅から固まってふたりを見あげる子供たち - 「なんでパパと結婚したのさ?」「ダンスがうまかったのよ」とか、二階の窓から不安定に身を乗り出して窓掃除をする母とか、玄関口で緩やかに手を振って見送ってくれる母とか、古い家の階段とか壁の模様、そこの記憶にこびりついた彼らの癇癪、嗚咽、不安、そして歌声。

映像は固定だったりスローだったり、それは自分の記憶を辿っていくときに脳内に映し出されるパタパタしたなにかに似ていて、似ているからどうということではないのだが、自分がその家、その家族に含まれている(他に行きようがない)ということを発見する瞬間、あるいは自分がそこから出て行くこと、離れることを自覚する瞬間はこんなふうだったのではないか、と思い起こさせるなにかがあって、それが感じ取れるだけですごいと思った。 それがDistant VoicesでありStill Livesなんだな、と。

あと、ここには歌と踊りが必要で、どっちが先だかわからないがお酒も必要で、ここからしばらく経つとお茶の間のTVなんかが入ってくるのだろうか。

これらの記憶とそのありようが普遍的ななにかだとは思わないし思えないし、戦中~戦後の英国のある時代のあるクラスに横たわっていた何か、であるのかも知れないわけだが、こういうどこからかの「声」がこんな形で表象されて再認知される、こういうことって今の時代でもこれからも、起こりうることなのか、起こりうるとしたらそれはどんな景色になるのか、は興味あるかも。

こういう映画は35mmで見たほうがよいのかもしれないけど、このリストアは全体の色調が堅め抑えめに仕上げてあってとてもよいかんじだった。

日本だとこういうの、成瀬とか川島雄三とかになるのかなあ。  三丁目のなんとか? ふん。

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