11.19.2011

[film] Melancholia (2011)

Angelikaで水曜日の晩にみました。 雨で、だんだん冷たくなってくる。

カンヌでKirstenに主演女優賞と監督によるナチ擁護発言(→永久追放)のおまけをもたらした、どういう顔して賞受けとりゃいいのよ、だったLars von Trierの最新作。

"Antichrist" (2009)もすんばらしかったが、これもすごい。
空前絶後のあるまげどん大作、震災と原発と天災の年に現れるべくして現れた大傑作、と勝手におもうのだがそう思わないひともいっぱいいるんだろうな。

ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』がわんわん鳴り響く中、ストップモーションでこれから起こるいくつかの場面が流されて、そのあとで結婚式の会場、古城に入っていく。

花嫁(Kirsten Dunst)と花婿が会場に入った時点で客はすでに2時間待たされていて、誰もが愛想笑いしかしない。
家族はそれいじょうで、姉(Charlotte Gainsbourg)もママ(Charlotte Rampling)もパパ(John Hurt)もみんなひどい顔してる。
姉のだんなのKiefer SutherlandもWedding PlannerのUdo Kierもみんな不穏な、めでたくない顔。

あまりに退屈なので、花嫁は会場抜け出してゴルフ場行ってドレスのまま放尿したりお風呂入ったり、職場の新人と青姦したり、やりたい放題、そのたびに全員がじとーっと待たされる。
そんなに式やりたくないならやめればいい、ていうか結婚したいとも思えないのになんで結婚するの、とか。

このへん、アルトマンの"A Wedding" (1978)の暗黒版であるとともに、Sofia Coppola的世界への、或いは"The Tree of Life" (2011)への強烈なアンチ、であり毒盛りにもなっているとおもう。 やっちまえ、てかんじ。

ほんとにねえ、いつCharlotteがあの不機嫌顔のまま、釘と金槌を持ち出してくるかと。
どうってことない所作とか表情とかがいちいちおっかない。 意味不明のばりばりの緊張感のなかにある。
かわいかった頃のCharlotteとか、お茶目なKirstenとか、そういうのが永遠に思い出せなくなってしまうのでは、と心配になるくらいこの映画の彼女たちの不機嫌鉄面顔はこわい。

Kirsten, Charlotte, そしてもうひとりのCharlotte (Rampling), この3人がそれぞれにあの不機嫌猫顔でこっちを睨む。それがどんなにおっかないことか。 それだけで世界の息の根が止まっておかしくないとおもう。 この点では、最強の女子映画、ではあるな。

と、そう思っていると、ちょうど都合よく惑星Melancholia(めらんこりん)が地球に向かってやってくるの。
彼女たちの不満と怒りと鬱憤がこいつを呼びよせたのだとしか思えない。(だって星があんなふうに踊るか?)
星は冒頭からちょこちょこ見えていたんだけど、それがだんだんでっかく、目障り耳障りになっていくの。 頭のなかの毒とおなじようにぐりぐりとくいこんできて止まらない。 血が血を呼ぶ惨劇のかわりに星がぶつかってくる。

「世界の終り」、ってこれまでいろんな形でいろんなひとが語ってきたが、終わる直前にひとは何を考えてなにをやっているんだろう、とか、その瞬間て、地底に落ちるのか水にのまれるのか空がひっくりかえるのか火で焼かれるのか、あんまイメージできるものではなかったような気がする。
この作品で描かれる「終り」は、そういうのを考えさせるような、極めて具体的なものに思えて。
これならあるまげどんもそんな悪くないかも、みたいなそういう作りになっていて、その辺はいいなー、と。  (いいのか?)

で、これのあとで、"The Tree of Life"がいけしゃあしゃあと再生されるのね。


あと、あの最後のとこは絶対爆音しかありえない。
Angelikaもなかなかすごい音(+横を走っている地下鉄音)が出るのだが、あれであれなんだから爆音だったら地球が潰れるようなすんごい音になるのではないか。

この回だけかもしれないが、終わって、画面が暗転した瞬間、なんでか大爆笑がまきおこったの。
なんじゃこりゃすげえー、みたいな。 わかんなくはないけどね。

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