11.23.2011

[film] A Celebration of George Kuchar: Rambunctious Rarities, Moody Masterpieces

土曜日は、いつものように、映画ふたつとライブひとつ。

映画の最初のは、MOMAの修復フィルムイベントの最後ので、この9月に突然世を去ってしまった実験映画作家、George Kucharの回顧で、リストアされた短編5本にVideo1本、双子の兄Mike KucharのVedeo1本を見ました。 (彼が遺したフィルムは200本以上ある)

見たのは順番に

・Mosholu Holiday (1966)
・Asphalt Ribbon (1977)
・I, an Actress  (1977)
・Wild Night in El Reno (1977)
・Motel Capri  (1986)
・Statue in the Park  (1996)  ..Videowork by Mick Kuchar
・Temple of Torment  (2006)  ...Videowork

個々には書きませんが、どれもキッチュでほのぼのとジャンクでエロで、ただ見ていて楽しい。
John WatersやDavid Lynch、Harmony Korineあたりまで、フィルムのなかに(悪)夢や妄想、がらくた等々をぜんぶぶちこもうとした作家たちの先駆として、歴史のお勉強というよりは現在進行形で投影され続ける夢のかけらとして見られるべきものだとおもった。

いいなーと思ったのは、どんなに変な、気持ちわるそうな人を描いても、小汚い矮小なかんじがしなくて、そこにWeirdnessやLonlinessのようなものがあるにせよ、ちゃんとそこに彼/彼女は存在していることだった。
あたりまえのことなのだが、部屋や公園や道ばたといったランドスケープのなかで、人がいること・あること、そのコンポジションを描けているからあんまり小品といったかんじはしない。
尊厳、とまでは言わなくてもいいけど、いろんなひとがそこにはいるよね。 変態だろうがなんだろうが、と。

あとは共同制作としての映画の楽しさみたいのもわかるの。
どの作品も最後に彼を中心にスタッフ(彼が教えていたSan Francisco Art Instituteの生徒達)が手を振ってくるのだが、それがあることで、映画に描かれた題材や人が、よりくっきりとした輪郭でもって、すぐそこに現れてくる。
きっとよい先生だったのだろうなあ、とか。

冬の入口に見るにはちょうどよいかんじのぴりっと変態した作品群でしたわ。

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