9.20.2022

[music] Primavera Sound LA - Day1 Sept. 16

どこまで書けるかどこまで憶えているかわかんないけど書けるとこまでメモとして。

音楽フェスとしては2017年7月のNYのPanorama以来、LAに来たのは2015年8月にHollywood BowlにErykah BaduとSt. Vincentのライブで渡って以来となる。 英国滞在中はロンドンのHyde ParkやVictoria Parkでやるちっちゃい規模のフェスみたいのが割とあって、そういうのならいつでも行けるし、本丸はGlastonburyとバルセロナのPrimaveraだから、と思っているうちにどっちもミスしてコロナでそれどころではなくなって、計画性のない愚か者の典型で、それを打ち消すには次のライブをとか言っているうちにこれがでた。 フェスとNINだと2005年のCoachellaからのつきあいだし、まあこれかな、って深く考えずにチケットを取ったのが昨年の12月で、その頃にはコロナがこんなふうになるなんて知る由もなかったのだが、とにかくなんとかなった。よかった。

これの裏でものすごくうらやましいRiot Festをやっているように、フェスはどんどんコンパクトにアクセスしやすい色柄別のにシフトしていて、大規模な「夏の風物詩」みたいなのは大看板を除けば廃れていくんだろうな(日本のは例によってガラパゴス化..)。最後のアクトが終わって地下鉄かバス(座れる)で帰っても23時くらい、ってすごくない?

それまでずっとLAで泊まってきたホテルがなくなっていたが、泊まるのはLAのdowntownしかない。なんかあっても側にThe Last BookstoreとGrand Central Marketがあれば生き延びることはできる世界の果て。たぶん。

会場のLA State Historic Parkに着いたのは3時少し前で、Will Callの窓口がよくわかんなかったり(群れているところに並ぶ)、注意書き読んでなくて大きいトートで入れなかった(小さいポーチに無理やり詰め込んで会場に入ってから小さいトートを買って移した)りいろいろある。

ライブのステージは3つあって、タイムテーブルはメインのを挟む形の両端同士の以外は重ならないように組まれていて、移動はしやすい - 端のTecate Altaのステージからもういっこの端のBarcelonaのステージまでshort cutなしで普通に歩いて4分30秒だった - 昔行ったLollapaloozaよりは楽かも。陽射しの強いのを除けば。

会場ではほぼみんなマスクはしていないのだが、喘息ぎみなので煙がとにかくきつかった。マリファナ、やりたいのは別に止めないけどタバコじゃないからいいだろ、みたいな顔して得意げに吸うのはやめてほしい。人の吐いた煙を吸わされることの気持ち悪さ、わかる?

Jehnny Beth

最近は女優としての”Les Olympiades, Paris 13e” (2021) - 『パリ13区』が印象に残る、でもやっぱりシンガー、というよりパフォーマーなのだなあー、って。バックはパートナーのJohnny Hostileともう1人の一緒に歌ったりもする女性で、彼らが黒で彼女は白のシャツと黒のタイトなパンツ、ピンヒールで、ふつうに立っているだけでかっこよい。靴を脱いで、最前にいる大きめの男性の肩に乗って握手と笑顔を返しながら客のなかにぐいぐい押し入って歌う - これを3回も。彼女の歌に頻出する”We”と彼女がテーマにしているあれこれを思えば当然なのかも。

明日登場するバンドの曲をやるね、って”Closer”を始めて、でも途中でクラッシュしてアボート。客席から歌って〜 ってせがまれて少しアカペラで歌ってくれたが、炎天下の真昼間、アカペラで歌うのにこんなにふさわしくない曲もあるまい。

Shellac

↑のステージの反対側の小さめでスクリーンもないところで、久々にみたShellacのライブ。Albini氏を始め、全員がおじいさんに近い年頃になってきてそれなりのやばさも臭ってくるのだが、でっかい音の塊が鳴る端からどかすか投げつけられてくる様は爽快で、バスドラはバスドラの、スネアはスネアの、ベースはベースの、ギターはギターの音しかしない/させなくて、曲らしきものはその物理的な重なり連なりの結果になんとなく形をとる、ような。 音響派なんかとは反対側にいて、出音の一発にすべてを賭けている、というか。Albiniさんの質問コーナーもあって、でも質問されたら時間ないから後でな、とかあいかわらずだった。

Clairo

再び反対側の↓のステージに向かう途中にメインのでっかいステージ - “Primavera” -でやっているのを少し聴いた。かわいー、って。 フェスで自分の知らなかった新しいミュージシャンや音楽に出会う、というのは、今回のに関してはそんなになくて、よく知っている or ライブを見て確かめたい両端のステージに出る人達を追って往復を繰り返しているうちに終わってしまったような。メインのとこで気合い入れてみたのは3つだけ、他のはお食事待ちのときに聞いたていど。

Stereolab

18時半の日没の少し前のピンク色の夕空にとてもよく映える気持ちよい音で、Shellacの後に聴くと石ころと布切れくらいちがって、そんなひらひらした音の連なりのなかで歌を編んでいくことを改めて、楽観的に覚悟したかのような、そんな音であり、Lætitia Sadierさんの穏やかな笑みだったような。むかしはこんなにとっつき易い音だったかしら? とか。

Mitski

↑と同じステージで、ものすごい人 - 特に若い女性- でいっぱいだったのだが、事前に聴いておいた方が入り込めたのかも。ブルースに近い世界のようだが - いや、わかんないや。

Lorde

メインのステージの初日のトリ。ステージの真ん中には階段だか滑り台だかの三角とでっかい丸 - 幾何学模様。デビューの後に品川で見た頃とはスケールからなにからぜんぜんちがう。

最初にThe Beatlesの”Sun King”が夢のように遠くで鳴ってから、7人くらいのバンドと彼女が滑り台に並んだり滑り台も動いたりしながら配置や振付けも全てきれいに決まっている。その間を縫うように本当に自由に楽しそうに歌って動いて、歌って! なんて言わなくても客席がいくらでも歌ってくれる。 ファーストの密室感も最新作の開放感もうまくバランスとって散りばめられていて、歌いたいから歌う、ということに尽きるのだ、というあたりを地球温暖化問題についてなんで自分は問題だと思っているのか、なんで自分は歌うのか、なども包めて自分の言葉で伝えようとする。それがステージの端から端まで走り回り弾けまくる楽しさのなかで幸福に - あの笑顔を見よ - 実現されてしまう。なんか、Blond Ambition Tourの頃の、無敵だった頃(今もだけど)のMadonnaを思い出してしまったり。

大好きな1stの曲はバンド編成にアレンジされて、でもあの祈りのような硬い崇高さは保たれたまま、マスターピースになっていた。

あと、”Cruel Summer”をふつうにカバーしていてうれしかった。

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