9.28.2022

[film] 私立探偵濱マイク 名前のない森 (2002)

9月23日、金曜日の昼、ぴあフィルムフェスティバルが開かれている国立映画アーカイブで見ました。昔からこのフェスティバルってぜんぜん興味が湧かなくて、前半のパゾリーニ特集は見たいけど夏休みで遠出してて無理だったし、後半の青山真治特集は気が付いたらチケットが取れたのはこれと、追加で出た『赤ずきん』『路地へ』だけだった..

TV放映されたシリーズの一篇らしいが、これはまずこのバージョン(71分)があって、TV放映版(43分)はこれを編集したものだそう。どっちにしても初見。

冒頭、主人公らしき男が車の中で鼻血を垂らしながら横に寝ている/いた女性の像を頭に浮かべている。
私立探偵の濱マイク(永瀬正敏)が富豪ぽい原田芳雄から結婚を控えた娘(菊池百合子)がよくわからない宗教だか自己啓発セミナーだかに行ってしまったので連れ戻してほしい、と依頼を受けて、山本政志に車を借りて現地に向かう。

その洋館のような施設で、「先生」と呼ばれている鈴木京香から、ここでは何をして過ごすのも自由です、やりたいことが見つかったら出て行ってくれて構わない、各生徒は名前ではなく番号で呼ばれる、新聞雑誌は固有名など現実との関わりが見えてしまうので禁止、携帯も預かる、などなどを言われる。自分のしたいことがはっきりとある濱マイクだったが依頼人の娘に近づくためにそれに従って、中の人となる。

水飲み鳥の置物が無限に首を上げ下げしているように、そこにいる人たち(ほぼ若者)はどんより同じような行動をとっていて、そんな中で、大塚寧々と知りあって、依頼人の娘も見つける。また、鈴木京香からは向こうの森にあなたそっくりの木があるから見にいきましょう、と誘われる。

「自分の本当にやりたい事」って、まず「自分」とは? という自分のありようを確認することから始める必要があって、その自分が他の誰かではないことが明らかにならない以上は、「自分」の本当にやりたいことなんてわかるわけがない、そして明らかにならないことが明らかになったとしたら、その先には自分を殺すか、自分以外の他人を殺すことしかできないのではないか、そんな仮説を置いてみると、この施設から出る、ということはこの二択を選ぶということに他ならなくなる、と。そうして、みんなに見送られて出ていった若者は路上で無差別殺人を起こしたり。

そして一日かけて自分にそっくりの木を名前のない森に見にいった濱マイクはなんも考えてないから(or 彼は探偵なものだから)カエルの面に.. のへっちゃらで、ある晩に彼の横にきて彼と寝てしまった大塚寧々は..

上映後のトークで青山監督は「戦争状態」を描こうとしていた、と聞いて、それがこの頃に起こった911の(後の)ことなのだとしたら、そうかもな、としか言いようがない(あの、のっぺらした空気)。そして、00年代や10年代の「戦後」を生きた人たちがミレニアム、と呼ばれて社会の中心にある今とは。

なんとなく今の「名前のない森」は「SNS」と呼ばれていて、そこ囲われた塀のなかでスマホを抱えて自分探しとかちっちゃい戦争とか局地戦みたいなことが果てなく繰り広げられていて、その限りにおいて日々の平穏は保たれている、のかもしれない。

勿論、これだけではなくて、「私立探偵」というのは何と渡りあって何を探しだす職業なのか、とか、名前のない森に探しものを探す経路はありうるのだろうか? とか。そして冒頭の映像にあるように、彼の活動は夢のなかを彷徨うかのようにぐるぐる循環したものとしてある、と。

あと、このテーマのなかで『ロビンソンの庭』(1987) - 最強の樹木映画 - の山本政志とか見えない猫とかが無軌道にやってきて暴れたりする。

あと、あの施設の描写のしらっちゃけた質感。もしこれがデジタルで撮られていたとしたらどんなふうになったのか、難しかったのではないか、とか。

上映後のトークは、制作の現場の音や音楽の考え方/作り方/重ね方の話がおもしろいのは勿論なのだが、青山組はバンドやっているようなものだった、というのがとてもしっくりきた。自信たっぷりの90年代のボーイズバンドのそれ。

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