9.21.2022

[film] Moonage Daydream (2022)

9月15日、木曜日の夕方、LAに着いてAmoeba Hollywoodのあたりをうろうろしている時、なんか映画やっていないかしら、と探してみたら丁度間もなくChinese Theatreでやると。正式公開は16日からのようだが、前日の晩だから。18:30の回が取れて、そこでIMAX上映であることを知る。

Brett Morgenによるドキュメンタリーで、2時間14分。

あのシアターのフロントにはでっかいBowieの垂れ幕がかかってて、ポスターも配っていて、シアターに入るとスクリーンのカーテンにはあの稲妻マークが堂々と。いいのか? 2022年にこんなことやってて。 シアターは7割くらいの入りで、木曜の夕方に来れそうな老人が多くて、音がでっかいのと前方なのでわかんなかったが、拍手も起こっていたみたい。

予告が何本かかかって、そのまま映画に入る。ガキ向けのマナーのCMも映画泥棒もなんもないのって、なんてすがすがしく気持ちのよいことだろう。

2002年、ニーチェについて語るBowieのインタビューの声が流れて、そこから“Hallo Spaceboy”がかかる。以降、ナレーションも字幕もなく他者のコメントや証言もなく、基本はBowieがいろんな時期に語った様々な言葉を散りばめて、彼の生みだしたSound and Visionがどんなものであったのか、それがどんなふうに作られたのか、を彼の言葉の他に、影響を受けた映画 - 『メトロポリス』、『ノスフェラトゥ』、ベルイマン、キューブリック、やTVやファッションやカルチャー等々の断片を混ぜこんでミックスして(でもぜんぜん限定的だよね、文学への言及はゼロだし)、David Bowie Experienceとしか言いようのない映像・音像体験をもたらそうとする。音源はライブ録音からのものが多く、映像はあまり見たことないのが結構あって、これらにIMAXのでっかい画面とやかましい音響が必須であることは言うまでもなく、彼の稲妻のマークをまさに稲妻のように体感できる。それはグラムとかハードロックとかジャンルがどう、という話ではなくてリアル稲妻の電撃でショック! びっくり!とかそんなようなかんじのー。

当然キャリアの初期とか家族のこと、子供時代から不幸な兄のことも多少は語られるのだが、やはり起点はSpace OddityからZiggyのあたりで、彼がアリゲーターで、スペースインベーダーで、”I’ll be a rock ’n’ rollin’ bitch for you” なんだ! って決意表明したその辺りから全てが始まっていく。三人称単数でのキャリア全体の総括は”David Bowie Is”の展覧会でやったからもういい、ということなのだろう。

こうして映像も音楽も時系列に並べられることはなく、そこでBowieが語る内容に応じて自在に前後して、後ろに倒れれば予言していたことになるし、前に戻れば既にこんなだった、になるし。これを繰り返しながら、緩やかに彼が亡くなるまでの航跡を追っていく。旅の目的は彼のSound and Visionを思い知ってびっくりしろ、ということのようなので、その観点からは申し分ない「体験」にはなっている気がした。

Bowieが時代の預言者であり革新的なイノベーターであったことについて、そうかも、と思う反面、それだけだったら今の時代の詐欺師まがいの「クリエーター」風情とそんなに変わらない。なんでBowieにあんなに惹かれたのかというと、どうしようもなく子供で不安定で誘われるままに右いったり左いったり危なっかしくへろへろになり、それでもずっと他者を、「あなた」を「あと5年しかない!」って泣きながら愚直に求め続けたことにあったのだと思っている。この点から、彼が一緒に音楽を作っていった共作者 – コンポーザー/プロデューサーとしてのTony Visconti - Mike Garson - Brian Eno、なぜか現れたり拾われたりするすばらしいギタリストたち - Mick Ronson - Earl Slick - Carlos Alomar - Robert Fripp - Adrian Belew - Nile Rodgers - Reeves Gabrelsなどなど、そして同時代の子供(兄弟)たち - Iggy Pop - Lou Reedについては、もう少しきちんと触れられてもよかったのではないか、とか。あと、時代的にはアメリカ人になろうとしていた”Young Americans” (1975) の頃、ソロを捨ててバンドとして出直そうとしていたTin Machineの頃のことは、音楽的にももう少し掘り下げるべきだったのではないか、とか。

などなどあっても、結局は”Moonage Daydream”なのだから、って言われたらそうだねえ、しかないのだが、これだとクリムトやゴッホの絵を屋内全面にプロジェクションしてすごいだろー、ってやるあれらと同じようなイリュージョンでしかない気もして、そうじゃないの、Bowieの詞と音がなかったら、あの時の彼を抱きしめなければ死んでしまうところだった子供たちが大勢いて、彼はそういう子たちのためのスターで、スターマンで、それは白日夢でも幻想でもなくて...  っていうあたりを今はぐるぐる回っている。この作品はそういう出会いをもたらしてくれるものになっているかしら? と。

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