5.23.2022

[theatre] The Book of Dust: La Belle Sauvage (2022) - National Theatre Live

5月15日、日曜日の午後、Tohoシネマズ日本橋で見ました。

Philip Pullmanによる児童文学-ファンタジー小説の3部作 – “His Dark Materials” (1995-2000) – 『ライラの冒険』、この3部作の前日譚を描いたふたつめの3部作- “The Book of Dust”の最初の作品が“La Belle Sauvage” (2017) で、物語の設定としては“His Dark Materials”の第一作” Northern Lights”の12年前に置かれている。ややこしそうだけど、読んだことなくてもだいじょうぶ、自分もそうだけど、それでもじゅうぶんおもしろかった。

脚色はBryony Lavery、演出はNicholas Hytner - 彼はNational Theatreで“His Dark Materials”の3部作も2部からなる6時間の舞台版にして2003年から2004年にかけて上演している。ここも、前の舞台を見ていなくてもまったくもんだいないから。

舞台全体のかんじは木版画とか切り絵の世界 - 水辺では反射する光がゆらゆらと美しく、影と光が共存しながらも干渉しあって世界の狭間とか涯てのありようを刻々と変えていく、それらを大規模なセットを構築することなく(おそらく、基本は)プロジェクション中心で切り出してしまう。おそらく劇場でライブで見たら映画の3Dよりも深く包みこまれてしまいそうな、夢の中としかいいようのない舞台があって、これだけでも十分見る価値があるかんじ。

あと、登場する人間は誰もがひとりひとりダイモン(Dæmons)ていう固有の守護動物みたいのを携えていて、それはカワセミだったりキツネザルだったりアナグマだったりヘビだったりハイエナだったり、子供で自我が定まっていない頃はダイモンも可変で、大人になるとダイモンは固定されて、そのキャラクターや挙動は本人を反映する像となっていつもその人の傍らにいて鳴いたり騒いだり怯えたりして、ダイモンが死ぬとその本人も死ぬ(逆も同様)。なので舞台上には役者自身に加えて常にダイモンをパペットのようにダイナミックに操作する黒子の人がずっとついている。 はて、自分のダイモンは.. って少し考えて首を振ってみたり。

英国のオックスフォードの田舎の水辺にあるパブ旅館Trout Innで、シングルマザーの母と働く11歳のMalcolm (Samuel Creasey)がいて、 そこの従業員で15歳の少し大人びていてややぶっきらぼうなAlice (Ella Dacres)もいて、ある日Malcolmは修道院でLyraという赤ん坊 - この子が次の3部作の主人公になる大物 – を預かるのだが、この赤ん坊とそこにあったメッセージを巡って匿っていた修道院とか実の母だという少し悪そうなMarisa Coulter (Ayesha Dharker)とか、彼女の背後にいるMagisterium - マジステリウムっていうややカルトっぽい教会組織とか、その下部にいて更にやばそうな少年たちの組織 - St. Alexanderとか、ディストピア風の警察組織とか、その反対側の対抗組織の修道院とか、学者たちとか、レジスタンスとか、Lyraの父親だというLord Asrielとか善玉と悪玉がくっきり浮かびあがっていって、LyraやMalcolmたちを導くalethiometers - 真理計っていうデバイスとか、Malcolmたちを運ぶカヌー - この名前が”La Belle Sauvage”なの - とか、人の意識や宇宙を構成している物質 - ”dust”とか、そのありようや成り立ちが記載された書とか、ものすごく沢山の異世界を形づくるあれこれが一挙になだれ込んできて止まらないのだが、無理なく飲みこめてしまう。 すぐれた子供の本てそういうものだし、舞台装置がもってくる光と影もそこにとっても貢献している。

物語は間違いなく未来のなにかの鍵を握っているらしい赤ん坊Lyraを巡って、悪の結社と善き人々が追って追われて騙し騙されて、Lyraは連れ去られたり取り戻されたり、その合間に洪水が来たり散り散りになったり大変な目に見舞われながらも、自分達が守るべきもの - その価値、のようなものに目覚めていくお話で、はじめはつんけんしていた二人もだんだん仲良くなっていくのだが、果たしてLyraの運命やいかにー。(ででん)

新たな人物が登場してもダイモンのおかげでどんな人かすぐにわかったり、洪水とか不吉なことの予兆もすぐにわかったり、細部に立ち入らなくても舞台の上のうねりとその向かう先が照らされているようで、今のなんだった? とか立ち止まらずに一気に見れてしまう。

我々の意識とか精神はどこから来て、なにで出来ていて、それを良い方とか悪い方に導いたり貶めたりするのは何なのか? それってどこかのだれかの意思なのか、それとも水が溢れたりするのと同じ自然のなにかなのか、既にどこかで書かれたり決まったりしたものとしてあるのか、そんなひとつひとつはシンプルな問いや答えが撚り合わさってできあがっていく歴史とか学問とかって、世界にとってなんなのか、なんになるのか? のようなことを示したり探したりしようとしているのだと思った。

こういうの、答えなんてないのだから好きなように探していこう、って思えるようになるのはずっと後になってからだったなー。もっと若い頃に見れたらよかったのになー、って。

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