5.19.2022

[film] Audrey (2020)

5月14日、土曜日の昼、ル・シネマで見ました。邦題は『オードリー・ヘップバーン』。
Audrey Hepburnの評伝ドキュメンタリー。 そんなに無理して見なくても、な作品だと思ったのだが、Alessandra Ferriさまが出ているというので見る。

1929年に生まれて両親は離別、英国に疎開したあと父親は親ナチとなって失踪し、バレリーナを志したが疎開のブランクでそのキャリアを諦めざるを得ず、“Secret People” (1952) -『初恋』で少し注目されて、“Roman Holiday” (1953)の王女役でオスカーを獲って大ブレークしてハリウッドの伝説となる。

戦時下、時勢も家族関係もなにもかも不安定で父親の庇護を求めていた少女時代、偶像となってからのMel Ferrerとの結婚と離婚、Andrea Dottiとの結婚と離婚、Unicefの活動に没頭した晩年と、息子や孫娘からのコメント、ファッション関係者やAvedonの息子(Michael Avedon)など - も含めて全体としてはこれまでよく語られてきた(気がする)世界が彼女に求める以上に、どこまでも愛を求め続けた(でも充分に満たされることのなかった)スターアイコン、という絵姿が描かれているように思った。

わたしは映画女優としてのAudrey Hepburnはその壊れやすそうで危なっかしいところも含めてすばらしいと思うし作品は見るべきところがいっぱいあると思っているので、映画よりは「波瀾万丈」の「人生」のようなところにフォーカスしているこのドキュメンタリーはちょっと残念だったかも。

抜粋されている映画作品(他にもあったかも)は先の2作の他に“Sabrina” (1954)、“Funny Face” (1957)、”Love in the Afternoon” (1957)、“Breakfast at Tiffany's” (1961)、“My Fair Lady” (1964)、晩年のだと監督のPeter Bogdanovichが“They All Laughed” (1981)での彼女を、共演者のRichard Dreyfussが“Always” (1989)での彼女を語り、出演作全般については評論家の Molly Haskellが語っているのみ。(”Two for the Road” (1967)-『いつも二人で』なんてちっとも)

たぶん描こうとしたのは始めにバレリーナを目指した少女、バレリーナのようにあろうとした彼女で、映画の仕事も含めてだれか(他者)がどこかで何かしら振り付けようとした像に自分の身体の所作を合わせようとして目一杯がんばった彼女の苦闘とどこまで行ってもそれが満たされなかった実情と苦悩、のようなイメージだろうか。

映画の中で挿入されるバレエシーンは、3人のダンサー - Keira Mooreが子供時代の彼女を、Francesca Haywardが60年代の彼女を、Alessandra Ferriが90年代の彼女を演じていて、ダンスパートの振り付けはWayne McGregorで、そうすると思い起こされるのが彼がRoyal Balletで振り付けた”Woolf Works” (2015) - これはVirginia Woolfの3つの作品にインスパイアされた3幕作品なのだが、ここでもAlessandra FerriとFrancesca Haywardは踊っていた。見ることのできたその舞台もすばらしかったのだが、Max Richterによる音楽も見事で、3幕目の”Tuesday”ではGillian AndersonがWoolfの遺書を読みあげたりするの。

映画のなかの3人のダンサーは最後に手を取り合ってハグをするのだが、本当にそうだったのだろうか? この”Woolf Works”で描かれた3つそれぞれの過去と時間を折りたたんでひとつに撚り合わせるような流れをAudreyは望んでいたのだろうか? そういう物語を欲しがって群がってしまうのは我々の方で、よいことなのかしら? わたしはUnicefでの活動を通して、彼女は真剣に子供たちを救おうとしているように見えたの。

スターとして祭りあげられた彼女の場合は相当に不当に強く振り付けられた「ダンス」を強いられた部分もあったのではないか。 ここのしきたりとか外からの圧についてあまり掘らずに彼女の側に現れた出来事をざっと並べて彼女の内面の苦悩のように、かわいそうでした、で終わらせてしまったところがなー。Marilyn Monroeの評伝もそういう傾向がある気がして、スターはそういうものだから、にして納得したがるような風潮はもうやめないとー。

あまり関係ないけど、2017年の秋にChristie's Londonで見た展示 - ”Audrey Hepburn: The personal collection”を思いだした。この映画のなかに出てくる服のいくつかもたしか展示されていて、どれもこれもわあ本物だあー、しか出てこなかった。

これも関係ないけど、Francesca HaywardもAlessandra Ferriも、立っているシルエットだけでそれぞれが誰なのかわかってしまう。それがバレリーナというもの。
 

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