5.08.2022

[film] Atlantique (2019)

5月1日の晩、イメージフォーラムの特集上映『マティ・ディオップ特集 越境する夢』で見ました。
この特集で見れたのはこの1本だけだった。クレール・ドゥニの監督作品2本は売切れていたし。21時開始のって、まだなんか抵抗感があったり。

本作の元になった?短編 - “Atlantiques” (2009)は一昨年にMUBIで見ていて、でもその時はあまりぴんと来なくて、今回の長編デビュー作を見て驚嘆する。2019年のカンヌでグランプリを受賞しているフランス・ベルギー・セネガル映画。Netflixで見れるとはいえ、こんなおもしろいのがこんな形でしか映画館で見ることができないなんてー。 以下、ふつうにネタバレはしている。

冒頭の大西洋の描写がすばらしくて、よい海と波とそれを照らしだすよい光が出てくる映画はそれだけで、自分にとっては当たりなの。撮影は同年に”Portrait of a Lady on Fire” - これも海が素敵だった - を撮っているClaire Mathon。

ダカールの大西洋沿岸の町にDuneに出てくるような禍々しいタワーがにょっきり一本立っていて(ほんとうはないよね?)、それか、その周辺の建築現場かで、数ヶ月分に及ぶ給料の未払いを巡って労働者たちが次々と声をあげて文句をいうのが冒頭。

その労働者たちのなかから若者のSouleiman (Ibrahima Traoré)がひとり町に出てAda (Mame Bineta Sane)と会ってデートしてキスをして彼はもっと、って求めるのだがAdaは昼間だしダメ、って拒む。

その晩に改めて会う約束をするのだが彼は現れなくて、そのうちAdaは成金大金持ちのOmar (Babacar Sylla)との婚礼があるのでそれどころではなくなる。婚礼の準備は友人たちも両親も浮かれて大騒ぎなのだが、Adaだけ浮かない顔でどこかに消えてしまったSouleimanのことを想っている。

やがてSouleimanは労働者仲間と一緒にスペインへの出稼ぎへと向かう船に乗って海に出ていったよ、と言われてがっかりしょんぼりとウェディングをするのだが、その晩のパーティで新郎新婦のベッドが焼かれる騒ぎが起こり、そこでSouleimanの姿をみた、という声が聞こえてきたのでAdaはまさか… って。

こんな状態で新婚生活に入ってしまったAdaはどんより腑抜け状態で、町の噂を聞いて疑いをもったOmarはAdaが処女かどうかの検査をさせたりするのだが浮気の痕跡もなにも出てこないのでお手上げで彼女を放りだす。(彼がただのぼんくらでよかった)

もうひとり、ボヤ事件の捜査にあたった刑事Issa (Amadou Mbow)はやはりどこかにSouleimanが潜んでいるのでは、と捜査を進めていくのだが突然具合がわるくなって.. 更に同じ頃にAdaの友人のFanta (Aminata Kane)も夜になると具合がわるくなり、その際に女性たちが集団で移動していく様が目撃されて..

労働事情によって海を渡らなけれはいけなかった労働者たちの悲惨な悲劇に、叶わなかった若者ふたりの悲恋や残された家族たちのことを絡めて、クラシックな昔話ホラーからモダンな労使/搾取/難民問題にまで踏み込んで - 映画の型としてはジョン・カーペンターからアピチャッポンまで夜の闇や白目を混ぜこんで、でもベースは師であるドゥニの肌肉に砂や潮が擦れてめくれあがって露わになっていく生や魂そのもの - 器としての身体のようなところまで目指しているような。 思いっきりぐさぐさしたスプラッターの方に踏みこむことも、ロマンチックな不滅の恋を描くこともできたはずなのだが、ここは潮の満ち干き引きのようなバランスを取ったのか、まずはとにかく海を撮ろうと思ったのか。

彼女たちが集うクラブ(?)の夜闇に瞬くライティングが蛍のように儚く美しくて。

ひとつあるとしたら、あんなふうにして海から戻ってきた魂たちは今回の彼らだけじゃなくて、これまでもずっといて、悲劇として続いて溜まってきたきたはずなので、そうやってふき溜まったり凝り固まったりしている場所や人々の型のようになってしまった何かがある/いるはずで、その姿をどこかで、どんなかたちでもよいので見せてほしかったかも。これはまず今を生きている若者や女たちのドラマで、それはわかるけど、でも死者たちだって共にいた。 ずっと「それ」を捕まえようと定点カメラを置いているのが、例えばペドロ・コスタではないか。


なんもしなかったけど、連休が終わってしまうのでもう今年はしんだおわったくらいのかんじで泣いている。なにもかもぜんぶやだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。