5.25.2022

[film] 夜を走る (2021)

5月17日、火曜日の晩、テアトル新宿で見ました。
いろんな人たちが最近の日本映画のなかでは.. のような誉め方をしていたので、程度。

脚本・監督は佐向大。過去の作品等は見ていない。企画には大杉漣の名前があり、彼の初プロデュース作になるはずだったという。
冒頭、ガソリンスタンドでの洗車されるのを車の中から見てそこを抜けて車が走り出す。車の中ではどこかの国のぜんぜん知らない町の天気予報? のようなものが流れている。運転しているのはマスクをしている秋本(足立智充)で、自分の勤める屑鉄工場に入っていくと上司の本郷(高橋 努)に営業の成績についてほぼパワハラの嫌味を浴びてぼこぼこにされて、でもこたえなくて適当に流している。

秋本の同僚の谷口(玉置玲央)には妻(菜葉菜)と小さな娘がいて、ふたりの夫婦仲は冷えきっていて、夫にも妻にもそれぞれに浮気相手がいて、それを互いにうっすら知っている。

工場に営業にやってきた若い女性(玉井らん)を本郷がいつものように鼻の下を伸ばして相手をして、またあの人は… って谷口と秋本があきれてグチって飲んだ帰り、本郷につきあわされた後にひとりでいた彼女を誘って、その帰り…

その女性が車のなかで死体で見つかって、はじめはその「処理」を出入りの中国の人に依頼したら危なそうな別の男(松重 豊)が現れて法外な値段を請求してきて、更に警察が動きだしたりする流れ – 犯罪の後始末に関わるサスペンスっぽい流れと、秋本が迷いこむようにして入ることになった変な教祖(宇野祥平)に率いられたスピリチュアルだか自己啓発だかのやばそうなサークルでの活動のこととか、どれもうんざりするくらい郊外の隅っこにありそうなかんじに溢れている – それをどこにでもあるありきたりの景色に変えてしまう目くらましの時間とか情景が例えば「夜」なのではないか。

誰もが仕事や家庭で抱えているもううんざりで吐きそうなやってらんない状態、だれもが飲みに行ったり我慢してやり過ごしたりするあれこれのことをざーっと並べて、それをぶっ壊すとか焼け野原にするとか逃げだそうとか、そういう方には行かない。秋本は最初の方はずっとマスクをしてどんなことも受け身でそれでよいみたいだし、谷口も不満やグチは散々言うし、むかつきまくりのようだが、そこまでに留めてその夜を過ごせばよいだけ、と。

流れが少し変わったのは秋本がフィリピンパブ(?)のホステスのジーナ(山本ロザ)をサークルに連れてきたら彼女がなによこれ冗談じゃない、ってブチ切れて蹴っ飛ばして帰って、それをきっかけに彼が破門されてから - どこにも帰属できなかった自分をビンタの後に受け容れてくれた集団から弾きだされたとき、彼のなかでも何かが弾けてしまう(と誰もが思う)。

でも、それでも表面はそんなに変わりはしなくて、秋本はほんとうに弾けてしまったのだろうか? 別の夜に彷徨いこんだだけなのではないか、って。 たまたま同じ啓発サークルにいてフィリピンパブのガードをしていた男から拳銃を貰って..  そして、谷口のところには警察(川瀬陽太)が話しを聞きにきて..  

ここには過去のノワール - 夜のお話 - で描かれたような宿命も運命も一切ない、そんな物語から切り離されたところにあるぽつんとした夜をどうやって生きるのか、生き延びるのか。そしてその先には.. (なーんにもないのだ)ということをEurekaのような引き延ばしの果てに言う。これが死なんでおいて、生きるということなのだ、例えば。 .. どうする? って。

最後にもういちど洗車があって、ドライブスルーのようなところでの典型的な家族の休日の風景で終わる。どこかを目指したり辿り着こうとする旅、ではなく、ドライブスルーのように、スルーして渡っていくいろんなサービスのつなぎ目をつないでいくような生のありよう。 誰もが”Eureka”の利重剛とか沢井と同じ目をしている。

見た感触としては、やはりR.W.ファスビンダーのそれの後に近いかも。すべてが芝居がかって虚飾に満ちていて、でもそこにある吐き気や嫌悪だけがほんもので、全体としてはどこまでも救われない、救いようのない世界がただそこにある – 奇跡も余命も、スプリングスティーン的な夜の疾走もなんもなしに、ただ救われないままに。こんな世界の蠢きをこんなふうにこまこま拾いあげてでっかい絵巻にしたのはすごいかも。

あと、カメラがなんかすごい。車の中と外。スピルバーグみたいに動く。

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