5.22.2022

[film] シン・ウルトラマン (2022)

5月14日の晩、二子玉川の109シネマズのiMAXで見ました。 “Eureka”のあとに見るんじゃなかったわ..

ふつうにつまんなかったので書くのもよそうかと思って、でもなんか吐きだしておいた方がよいかもとも思って。以下、簡単な感想。

わたしはそこらのふつうの子供と同じように「ウルトラマン」も「ウルトラセブン」も昭和のTVで再放送も含めて何回も見て、そこで宇宙とか宇宙人とか怪獣のこととか「正義の味方」の「味方」とか「正義」とか「地球人」とか、「ゴジラ」シリーズや恐竜が巨大生物とか放射能について教えてくれたのと同じように別の本を読んで学んだり、自分で考えたりすることになった。なんで地底からいきなり現れたり、日本にだけ現れたり、突然でっかくなったり、たまに日本語を喋ったりするのか。 これらはすべて、万が一本当にそういうこと - 大抵は自分がウルトラマンとかウルトラセブンになることを想定する - が起こった時の予習のようなものとして、結構真剣に考えたり - これは当時の退屈な子供がふつうにやっていたこと。

これらのテーマを自分と同じように、30分の個々のストーリーや登場する怪獣やエピソードに沿って深く愛して考えて語り合ったりする人々がいることを知ったのは随分あとになってからで、でもそっちの方はまあいいか、だった。そういう人たちと関わってなんになるのだろう、って思ったし、もっと他に見るべきものはあるにちがいないし、って。

この映画はオリジナルの「ウルトラマン」を小さい頃に見てそれをとても愛して、そこにあったエッセンスやエレメントを自分たちの手で真剣に現代に蘇らせようと思った大人たちが、それを見て育ったかつての子供とか今の子供たちに向けて再解釈や再定義を施して、それを披露しようと - オマージュってやつ - するものだと思っていた。あそこまでオリジナルでのあれこれを律儀に持ってきて積みあげてくるとは思わなかったが。

もうすでに日本に禍威獣(うぅ、なんかはずかしい)は現れていて、光の国から地球にやってきたウルトラマン(仮称)が禍威獣特設対策室専従班(禍特対)のメンバーで子供を守ろうとした神永(斎藤工)とぶつかって彼を殺しちゃったので彼になりすます。 いきなり現れて禍威獣をやっつけちゃったあいつを調べるために公安から出向してきた分析官の浅見(長澤まさみ)は神永をバディと呼んで(うぅ、とてもはずかしい)調査を始めて。

地球内ではウルトラマンは敵なのか味方なのか、という議論が政治・外交を睨んで跨いで活発で、宇宙からすでに入ってきていた外星人(複数)は人類をこのまま生かしておくべきか滅ぼしたほうがよいのか値踏みとか検討を始めていて、まあなくてもいいよねこの人類、になったときに半分神永としても生きて人類を見ていたウルトラマンは滅ぼすべきではない、って立場に立って、そういうことを言うメフィラス星人やザラブ星人を蹴散らしたらさいごに光の国からゾフィーがやってきて「そんなに人間が好きになったのか」って、でもやっぱしお前もう帰れって最強のゼットンを置いていくの。

「シン・ゴジラ」でも顕著だったけど、ここで描かれる「人類」ってほぼ政治家とか官僚とか軍隊とか、が中心なのよね。彼らがきりっとした声と顔で命令くだしたり「くっそお」「なぜだ?」「まさか?」とか言ったり歯ぎしりしたりする、これが映画のなかで見られる人類側のアクションのほぼすべてで、日頃からそういう連中にうんざりしている側としては、①あんなのに代表されたくないし、②命運を勝手に決められたくないし、③結果として消されたり焼けだされたり避難したりしたくなんかないし。だから映画のなかで「そんなに人間が好きになったのか」って言われても、なんで? どこが? しか出てこないし、滅ぼすしかない、って言われても、うん、こんなんじゃしょうがないな、どうぞー、って思わざるを得ない。

とにかく、神永=ウルトラマンがなんでそんなに - 自分の命と引き換えてでも人類を生かすべきだと思ったのか、この部分が薄くてちっともわかんないので、謎しかない。ありえそうなストーリーとして、浅見への愛とか禍特対メンバーとの繋がりとか、救うことができた子供と家族の愛とか、そういうのがきちんと描かれているのであればまだわかるけど、そこが欠落しているので、空っぽすぎて外星人なに考えてるの? しかない。よくわかんないから消しちゃえ、ならまだわかるけど、よくわかんないけど残そう、はダメな人が未読の本を床に積むのとおなじでダメよね。 百歩譲って相手はとにかく外星人ですから、なんて言うのならなら「正義」なんてちゃんちゃらおかしいし。 MCUのヒーローたちを見てほしい、みんな歪な変態ばっかだけど彼らをヒーローたらしめているのは家族や恋人や隣人への愛とか友情とかだけ、なんだから。

ゴジラが核兵器を生みだしてしまった人類に生きる価値はあるのか、を問うていたのだとすると、ウルトラマンは広い宇宙において地球はどういうもので、なぜ怪獣とかの脅威から守られなければいけないのか、を問うていたのだと思っていた。それがあるのかないのか最後までわかんない「バディ」的な関係で補強されるわけがないし、『野生の思考』を読んだくらいで理解されるとも思えない。尻ばっかり撮ったり匂い嗅いだりしてないで正面から抱きしめてみろってんだ。

セクハラ描写については、あんなの猫が見たってそうで、それが政治家や官僚や軍人を犬のように追っかけるカメラの線上に置かれているので彼らの中では一応整合しているのだろう。ぜんぶ「フィクション」の「ファンタジー」なんだよね、くだらねえ。 昔”Pacific Rim” (2013)が公開された頃、雑誌でこの映画を作っている2人が女性の撮り方についてもっとこうすべき、とか偉そうに語っていて呆れたもんだが、そんな智慧と「作者の思い」がこんなかたちで現れるのかー、って。呑み屋のエロ話レベルの低劣さ。さーすが『空想特撮映画』。

ウルトラマンが人類を学習するのに『野生の思考』のページをめくるシーンがあったり、浅見の机の上にはローレンツとかシュタイナーの本があるのだが、いきなりあれらを読めば人類なんて理解できるもの? 最低アリストテレスとかから入るべきじゃないの? 読むなら原典をあたるべきじゃないの? 日本人、だったら「菊と刀」とか「甘えの構造」とかじゃないの? とか。書店でフェアすれば?

怪獣でも禍威獣でもなんでもいいからあれらがもっと傍若無人に暴れ回るやつだと思っていた。都会でビル壊したり原発に迫ったりしてほしかった。 ゼットンですらあんな神話記号みたいのにされてしまうなんて。あと禍特対の秘密兵器とか、せめてかっこいい乗り物とかはないの? (予算がないので軍事費を、とか返してきそう)

とにかく「シン」なんとかでマーケティングしてくるのはもう一切信用しない。 そのうちぜったい「シン・ケンポウ」とかやりだすぞ。

メフィラス星人(山本耕史)が神永と居酒屋で対話するとこ、メフィラスが実は地球人の男の子を飼っていて、君の班長(西島秀俊)ともとても懇意にさせて貰っているのだよ、とか言ったら少しは世界が広がったのに。

この内容なら音楽は「たま」とかヒカシューの方がマッチしたのではないか。

Marvelのウルトラマンに期待しよう。

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