5.07.2022

[film] Helpless (1996)

5月1日、日曜日の午後、国立映画アーカイブの特集『1990年代日本映画』から2本続けて見ました。

Helpless (1996)

もちろん青山真治の追悼として見る用意なんてしていない - 「1990年代日本映画」を、というのは少しあるので、そっちの方に転嫁しよう。彼の作品についてはまだ見ていないもの読んでないものもいっぱいあるのに追悼もくそもないわ。

監督・脚本・音楽は青山真治、製作は仙頭武則、撮影は田村正毅、主演に浅野忠信と光石研、これだけで最強のバンドだと思うし、そういうバンドのディスコグラフィーを追うように見て聴いていくのもよいの。

バイクで暑くなり始めた頃の寂れた町を走っていく健次(浅野忠信)と電車で仮出所してきた右腕のない安男(光石研)- 幼馴染のふたりが再会して、安男は健次に障害のある妹ユリ(辻香緒里)と荷物を託して、「オヤジ」を尋ねていくのだが誰に聞いてももう死んだ、というのでふざけんな、ってそう言う奴らみんなを撃ち殺していく。

健次はナポリタンを食べて精神病院にいる父親を見舞って、喫茶店に入り、トンネルの奥から現れた同窓だった秋彦(斉藤陽一郎)とも再会して、こいつはやがて喫茶店にも入ってくる。

そのうち健次の父親が病室で首を吊ったことがわかり、うだうだと絡んでくる喫茶店の経営者夫婦をフライパンで撲殺してユリを連れて出ていく。

ふたりの若者のある夏の日の時間と時間を追った行動 - 殺し - に彼らの父親が死んだ/死んでいたということを当て嵌めて語るのは簡単なのだが、そんなテーマに落とすわけないただの偶然とか、じつは「異邦人」のように夏の道路の空っぽな状態を示すだけのやつ、なども浮かんだり、健次が着ている”Nevermind”のTシャツが示すように、これは96年に描いた89年の出来事であるとか、それ以上に、ギターを中心とした細やかな音楽が鳴りだす瞬間の、とてつもない生々しく広がるなにかとか、長編デビュー作だけが持ちうる属性 - でっかく広げた地図とそこだけを見て、聴け、ってところが山のようにあって目を離すことができない。

“Helpless”は”Reckless”でもある、と聞いてその感覚でいくらでもだらだら流していくことができて、ぜんたいとしては「ぐだぐだ寄ってくんじゃねーよ、うぜえんだよ - ぱーん(フライパン)」ていう、フランパン・パンク、でよいの。


M/OTHER (1999)

監督は諏訪敦彦、くらいしか存じておらず。
恋人のアキ(渡辺真起子)と一緒に暮らす哲郎(三浦友和)の前妻が交通事故を起こして長期の検査入院をすることになり、彼らの子供 - 8歳の男の子俊介(高橋隆大)を預かることにしたけどいいか? とアキに訊く。 きかれても他に行き場がないんじゃしょうがない、けどもっと事前に相談してくれても.. とアキは返して3人の同居生活がはじまる。

アキはもちろん子育てなんかしたことないし、俊介だって母親以外の大人の女性がずっと家にいるのは初めてのことだし、でも哲郎は話せばなんとか/時間が経てばどうにか、の手口でなんとでもなると思っていて、前半は両者のいろんな戸惑いや衝突と、それが朝になればどうにかなっていく様とその繰り返しを描いていく。

で、互いがだんだん慣れて仲良くなっていけばいくほど、それぞれに - 特にアキにとってこの状態は/関係はなんなのかを考えるようになって、アキの友人はもうこのまま結婚しちゃえば、とか、でももうじき俊介は母親のとこに還るし - そうしたらまた元に戻るさ、と哲郎は言うのだが、もう決して元の状態に戻れないことがわかるアキは、一人暮らし用のアパートを探し始める。

画面はずっと視野狭窄とか欠損を起こしているかのように狭くなにかに囲われていることがわかる状態で - “Helpless”とは対照的 - どこかしらが欠けているようで - でもなにが映っているかはわかるし会話も追えるし、そういう状態で最後にはっきりと映りこんでいなかったものが姿をあらわす。

この状態を続けるのはもう無理だから出ていくしかない、となった時に哲郎がアキにのしかかって行くんじゃない、ひとりにするんじゃない、ってひたすら力で圧していく - 暴力はふるわないがのしかかって動けなくする - 場面がホラーのように、ホラー以上に狂っていてものすごく怖かった。これ、この狂気であり呪いなのよ、この国を覆っているいちばん厄介なあれは。

“Men”と”Other”の間に切り込みを入れてその傷を塞いで見えなくしたところに現れる”MOther” - 万能薬のように都合のよい、万能を期待されてしまう母のありよう。のしかかって力でなんとかしようとする三浦友和の頭にフライパンを..  ってここでもフライパンが浮かんでしまうのだった。 あとナポリタンも。


今日(5/7)は国立映画アーカイブで『回路』 (2001)[銀残し・再タイミング版]ていうのを見て、感想はそのうち書くけど、これも「ひとりにしないでほしい」っていうあれの続きで、終わって解説を聞かずに代官山に走りこみライブハウスの扉を開けたら既に始まっていたPhewの音が『回路』から吹いて聴こえてきたそれとつながっているようで震えた。 これに続く湯浅湾もまたすごくてー。

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