5.17.2022

[film] 回路 (2001)

5月7日の午後、連休がいってしまう悲しみに打ちひしがれつつ、国立映画アーカイブの特集『発掘された映画たち2022』で見ました。

[銀残し・再タイミング版]とあって、技術的なことはさっぱりなのだが、要は初号のオリジナル版が出そうとしていた(ホラー)フィルムの質感を現像からやり直して再現しようとして – ここには継承されるべき技術があるのだ見ろ - ということらしい。

脚本・監督は黒沢清、同年のカンヌ国際映画祭のある視点部門に出品されて国際映画批評家連盟賞を受賞している。自分はアメリカに渡った年だったので見ていない。ホラーはどっちみち見れないのだが、これについては今ならだいじょうぶな気がした。なぜなら。

英語題は”Pulse”で、このあと海外では”Pulse” (2006)として何本かシリーズ化されている。

冒頭、役所広司が(バスではなく)航行中の船の上で船長らしきことをしている。これだけでものすごく禍々しい、助かる見込みのなさそうな事態になっていることが推察される(のはなんでか?)。

ミチ(麻生久美子)の働く観葉植物を売る会社で突然出社しなくなった同僚がアパートで壁に黒い影を残して自殺しているのが見つかって、彼の残したフロッピーディスクを経由しているのか職場の人たちの姿が消えたり死んだりしていくのと、同じような現象にぶつかった大学生の亮介(加藤晴彦)が同じ大学のPCインストラクターの春江(小雪)と一緒にその謎を追ってみようとするのだがー。

やばそうな家とかドアがあったらそこにアクセスしてはいけない → でも入っちゃう → 入ったら必ず死ぬことがわかる → ぜったい近寄っちゃだめだ → 外側に滲んで湧いてくる → 結局みんなやられる。

これの20年後、コロナで散々隔離だバブルだってやってもみんなやられてしまって大変な目にあう、その避けられない循環の原型を見るようで、その懲りない逃れられない仕様をここでは「回路」って言っている。でもそれって、なんだかんだ言っても結局ヒトは死ぬ - そのときにどうやって死ぬかだ、っていう昔からのホラーのテーマがあって、そのクラシックな「回路」のありようをインターネットという「向こう側」の世界との間で考えてみる。

冒頭にモデムのぴーひゃら音が響いて、あれって何? とかモデムって、フロッピーって何?という若い人も多いのだろうが、当時のインターネットの向こうには別世界があると考えられていて、それっていまみたいな「メタ」でも「ソーシャル」でもなんでもない、ただの魔窟のような涯ての印象があった(没入すると廃人になって出てくるところは同じ - ヴェンダースの『夢の涯てまでも』(1994)に出てくるあれ、ね)

ケーブルは必須だしきちんと接続してきちんとなにかを表示させるには映画にも出てきたようにConventional MemoryがどうのとかProxyがどうのとかの関所や勘所があったし、表示されたってノイズまみれのガクガクで、それが本当に「それ」なのかなんて誰にもわからない - 今だと割とはっきりとフェイクややばいのは見ればわかるし、どこの何とかって特定し易くなっている気がする。それが「ソーシャル」ってもん。

なのでここでの死はへその緒を切られた永遠の孤絶状態を指すのだし、だからひとりなんて耐えられないのだし、みんな「助けて」って言いながら取りこまれて埋められていく。この辺の底の抜けた病理的なネットのありようって今の若い人たちに伝わるのかしら? とか。伝わらないとあんま怖くないのではないか、とか。いや、今でもこんなふうに人は死んでいるのだ、って示されるとちょっとこわいけど。

この辺の「ひとりにしないでくれ」の切迫感は少し前に見た”M/Other” (1999)にもあったし、この頃に確かにあったと思うのだが、あれってなんだったのか? ってたまに思う。歌でもなんでも気もちわるいのいっぱいあったよね。映画はこの「回路」に巻きこまれていく恐怖を描きつつも、どうやったら逃げられるのか、関わらずに済ますにはどうしたらー の方へと向かう逃走の線を描いていく。べつにひとりでいいし。

海の上には「行けるところまで行こう」という役所広司がいて、陸の上の人々がこの病に打ち勝てるようになるには『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(2005) の浅野忠信と中原昌也の降臨を待たなければならないのだった。(北九州のどこかで、役所広司は宮崎あおいを浅野忠信に託したのだと思う)

でも、湿っぽい部屋の隅にケーブルがぐしゃっと絡まりそのまま硬っているのとか、打ち棄てられたPCのファンの周りが黒ずんでいるのとか、いつ見ても気持ちわるくて、その辺はホラーに向いているなあ、とか。でももっとこわいのは旧いデータセンター(ITバブルの頃に建てられて廃墟になっているやつ)の暗がりとかだよ。なんか動いていたりするの..

終わって、フィルムについての技術的な解説は聞きたかったけどもっと聴きたいやつがあったので代官山にPhewと湯浅湾のライブに向かい、ドアを開けたらPhewの電子音が見てきた映画の世界からそのまま噴きあがるように襲ってきて痺れたのだった。


昨日で英国から戻ってきて1年経っていて、まだ箱がいっぱい積んであるので、これはやばい♪(朗らかに)。

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