5.03.2022

[film] Craig's Wife (1936)

4月29日、金曜日の昼 、シネマヴェーラの『アメリカ映画史上の女性先駆者たち』で、この日は4本続けて見ました。4本連続はやっぱしきつかったかも。

1925年にピュリッツァー賞を獲ったGeorge Kelly(Grace Kellyの叔父)の同名劇が原作で、映画化はこれの前に28年にサイレント(監督William C. DeMille)のがあり、これの後の50年にはJoan Crawford主演、監督Vincent Shermanで”Harriet Craig”としてリメイクされている。”Harriet Craig”は2018年にBFIのJoan Crawford特集で見て、すごくおもしろかったの。 あといちおう『クレーヴの奥方』(1678) とはなんの関係もないの。

冒頭、NYのライにあるHarriet Craig (Rosalind Russell)のお屋敷でメイドのMrs. Harold (Jane Darwell)が居間に飾ってある陶器の位置をミリ単位で調整してぴりぴりしていたり、もうひとりのメイドMazie(Nydia Westman)とのやりとりからいかにHarrietが嫌われて恐がられているかがわかる。

Harrietは病に臥せっている実姉の看病でアルバニーの方に姪と一緒に出掛けていて、その間夫のWalter (Wendell Corey)は友人の家にポーカーをしに出掛けて、でもその友人はそっけない妻の行動とか自分から遠ざかっていく友人たち - この晩も来てくれない - のことで不安定になっていて、そこから24時間の間にHarrietの「家」でなにが起こったか。

Walterが訪ねた友人宅では夫妻が死んでいるのが見つかって警察からWalterのところに問合せが来て(それをHarrietが握りつぶしていたことが後でわかる)、姪を連れて屋敷に戻ったHarrietのところには姉が亡くなったという報が届き、同居していた叔母は出ていくことを決めて、最後まで残っていたメイドは叔母についていくことにして、Walterも彼女の陶器を叩き割って、吸い殻を撒き散らして出ていって、最後にはHarrietひとりが残される。あんなにパーフェクトな家づくりに尽力して貢献した(と彼女は思っていた)のに。

彼女が完璧な家と屋敷を維持しようとすればするほど彼女は嫌われて孤立していってしまう。彼女にとってはそうすること、それを徹底的にやることが夫にも至上の愛と幸せをもたらすはずだったのに、誰にもわかってもらえない、という彼女からすれば理不尽かつ絶望的な「家」をめぐる断絶を女性である監督のDorothy Arznerは冷たく突き放すようなトーンで描いている。50年の”Harriet Craig”の方はそうなった要因を彼女の幼少期の事情においたり、少しはやさしいかんじだったのだが。 

これを女性 - Harriet Craigの女性的な独裁のように描くとなんかやーなかんじになってしまうけど、別にここでの彼女と同じように家や家庭のすべてをコントロールしようとする男性なんてざらにふつうにいるんじゃないのか? そっちはどうなの? いいの? そいつらからの連鎖でこうなっている可能性ってあるんじゃないの? などなどを言わんとしているのではないか、と思ったり。


The Road to Ruin (1934)

作・監督はDorothy Davenport。 28年に作られた同名のサイレント作品 - 原作はWillis Kent、監督はNorton S. Parker - をおなじHelen Foster主演でリメイクして音声をつけたもの。邦題は『破滅への道』。

高校の友達同士のAnn (Helen Foster)とEve (Nell O'Day)がいて、Eveは酒もタバコも男友達と遊ぶのも先を行ってて、AnnはEveに誘われるままに同級生の男友達Tommy (Glen Boles)とデートして野外でセックスして泣いたり、そんな彼女を今度は年上の遊び人のRalph (Paul Page)が乱痴気パーティにさそって、負けたら脱ぐゲームとか変なお酒呑まされたりとな、されるがままに堕ちていって警察に補導されて指導を受けて、そのうち妊娠していることがわかるのだがRalphは結婚なんてとんでもない、って中絶医を紹介してきて、手術したらその際の不衛生だったのがたたってAnnは寝たきりになって、お母さんごめんね、って亡くなってしまうの。

絵に描いたように真面目だった娘が素直に転げ落ちて亡くなってしまう残酷なかわいそうなドラマで、そこには破滅へと向かう際の葛藤や格闘があるわけではなく、無垢で従順な娘が言われるままに傾いて横になって気がついたら動けなくなって手遅れだった - それ故にこういうのはそこらのふつうの娘にもいくらでも起こりうるのだ、という救いのなさ(親は後になってあの時にもっと言っておけば、って泣くだけ)。

で、この構図は驚くべきことに世紀を跨いでいまだにそんなに変わってなくて、暴れたり抵抗したりしなければほぼ自動で合意したとみなされてしまう文化をはじめ、ずっと腐りきったままだという近現代のど腐れっぷりに改めてびっくりしよう。

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