5.16.2022

[film] 生きてゐた幽靈 (1948)

5月6日、金曜日の晩、国立映画アーカイブの『発掘された映画たち2022』で見ました。

長谷川一夫が山田五十鈴と設立した劇団・新演伎座が48年に株式会社化されて、これとマキノ正博主宰のC.A.C.(映画藝術家協同)が提携した、どちらの会社にとっても最初の作品で、製作と公開は48年、この時のタイトルは『幽霊暁に死す』で上映時間も97分、今回上映された版は51年に東映がタイトルを変えて公開した版で上映時間は88分 – なので「改題短縮版」とある。

『幽霊暁に死す』はかつて(たぶん、たしか)シネマヴェーラとかで見たことがあって、でも今度のはぴかぴかのニュープリントですごくきれいでうっとりした。どこがどう短縮されたのかはわからない。

元のタイトルから生と死が鏡のようにひっくり返ったこのタイトルもなんだか小馬鹿にしてて変よね。元のだと幽霊は死んでいるから死なないものだし、今度のだと幽霊は生きてゐないものだし。

冒頭、尖塔のある教会で小平太(長谷川一夫)と美智子(轟夕起子)がふたりだけで結婚式をあげている。ここで教会の扉がドラマチックにばーんと開いて風がざわざわと入ってきて、明らかにホラーっぽいのだが新婚の彼らは朗らかで気にしていなくて、終わったあとのハネムーンについても、熱海に行きたいんだけど、お金がないので日帰りでごめん、てなって、それが更に潰れても美智子は一緒にいられればいいの、ってにこにこしてて素敵ったらない。

それから小平太の勤める学校の職員会議で横暴な校長の罷免動議が出されて、逆ギレした校長はふざけんな首謀者は起立せよ、って迫って、こんなときに誰も立ちあがらなくて、生徒たちも窓の外に鈴なりで注視しているなか、小平太は仕方なくひとり立ちあがって、ここでも突風がぞわわーって入ってくる。でもこれで小平太は職を失う。

どうしようもなくなったので亡父の弟の平次郎(斎藤達雄)のところに行くのだが、親族の反応は変 - 彼が父親に似すぎているせいか – で冷たくて、父親が亡くなるまで住んでいた山荘 - 柳蔭荘で管理人をすることを勧められて、他にすることも行けるとこもないので仕方なくそれを受け、現地に出かけると父親の幼馴染(田端義夫)とか巡査(坂本武)に案内されるのだが界隈では幽霊屋敷と呼ばれて誰も近寄らないぼろぼろのやつで、でもふたりで住むことができるおうちだからと掃除をしながら暮らし始めると、昔の画家の恰好をした父親の平太郎(長谷川一夫 – 二役)が現れて、亡くなった歳の状態で止まっているので小平太とそっくりすぎて自分の夫と間違ったりしてて、そのうち幽霊であることがわかってもそんなに驚いたり騒いだりしない。なんかものすごくよい娘さんすぎる。

こうして2人と1霊の暮らしが始まってみんな朗らかで幸せなのだが、なんで幸せなのに恨めしいの? と平太郎に聞くと、平次郎のせいで成仏できない、と恨めしそうなので、平次郎ほか親族一同 - 沢村貞子、月丘千秋、飯田蝶子、徳川夢声 .. ってなかなかすごい人たちなのにほぼいるだけ - に集まってもらうことにして、一同がやってくると、平太郎が遺産の管理をお願いしていた田端義夫の父親の花菱アチャコが登場して平次郎との対決になって、当然平太郎もそこにいる。

幽霊ものなのに穏やか(怪談ではないの)で人が死んだり苦しんだりすることはないし(すでに死んでるから)怖くないし、“Ghost” (1990)みたいに悪いやつを追い詰めてやっつけるわけでもないし、最初の方と同じように窓や風をうまく使ったり沢村貞子を夢遊病にするくらいなのだが、効果としては十分で、どちらかというと山奥の廃屋でずっとひとりで幽霊していた平太郎の孤独とか哀しさ - 長谷川一夫の浮かべる透明でほんのり柔らかい笑顔 - の方が残って、アチャコが読みあげる遺言状の「親類一同が仲良く暮らして欲しい」とかにじーんとなってしまう。その温度のなかに彼は確かに生きていることがわかって、切ないったら。

とにかく長谷川一夫の淡い輝きが特殊効果もなんもないのにすばらしくて、父子が - 同じひとなのに - 向かい合ってウインクするだけでなんかの魔法がとんでくるようで、大スターってこういうものなのかすごい、しかない。


この日はこの作品の前に『今日われ恋愛す 第一部 愛慾篇/第二部 鬪爭篇』 (1949)も見て、おもしろかったのだが、ちょっと欠損が激しすぎて残念だった。いつかもう少しきちんとしたのが発掘されて、それを見ることができたらまた。
 

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