5.23.2021

[TV] Around the World with Orson Welles (1955)

Orson WellesがイギリスのTV(いまのITVだって)用に制作した各26分 x 6エピソードの世界紀行ドキュメンタリーがMetrographで順番に見れるようになっていって(今も全部見れる - Metrograph でなくてもふつうに転がっているみたい)お片付けの合間に見るには丁度いいのでちょこちょこ見ていた。5月の6日に最初の半分を見て、10日に残りの半分を見ている。

制作過程のエピソードを見ると最初に25週間で25回分撮るとかめちゃくちゃ言ってて(当然実現できず)実際にはほぼ撮りっぱなしで権利関係も含めた調整や編集はぜんぶ番組側に投げて、でも個々の挿話や内容は細切れだったりしたので、インタビューの半分(Orson Wellesが訊くパート)は後から撮って足したり、進行役を加えたり(闘牛のとこ)、後から知るとなるほどそういえば、って思った。

形式は最初に、やあみなさんわたしがOrson Wellesです、って登場した彼が彼による彼を取り巻く世界 - とりわけ彼もよく知らない異世界 - のことにフォーカスしていく。 Orson Wellesにとって異なる(ヨーロッパ)世界は当時の視聴者にとってもそうであるに決まっていたのかも知れないが - そこから約60年後の世界を生きる我々にとってはどうなのか、どう見えるのか、とか。

エピソード1と2はバスク地方、エピソード3はウィーン、エピソード4はパリ(Saint-Germain-des-Prés)、エピソード5はロンドン、エピソード6はマドリード。ものすごく新しいもの見たこともないもの珍奇なものを見つけ出してレポする、というよりずっと昔からあって続いているモノ - スポーツとかザッハトルテとか闘牛とか - ヒト - 子供か老人 - の話を訊いて、こういう世界はずっとあるしこれからもこうなのではないか、というように終わる。

この後、冷戦が終わってEUができて「世界」は「グローバル」になって宗教や民族間の軋轢が顕在化して移民・難民が問題になって、英国はEUを離脱してカタルーニャもスコットランドも独立したいと言ってて、そうなってもこれらの「世界」はこの頃と変わらない世界 - “Around the World” - を保ってきている、と言えるのだろうか? ここでWellesが捕まえようとした「世界」といまの我々が見たり感じたりする国々のあれこれはどれくらい違うのだろうか?

例えばここの、彼の”Around the World”にアジア・アフリカ・中近東地域は含まれていたのだろうか? - いなかった気がする。 アメリカ人映画監督である自分とそこに光や影を与えたであろう欧州(ロシアは含まれる)まで、彼の関心の先はそこまでで、自然や野生の風物も入っていなくて、でもそれはそれであの時代の世界のありようだったのではないか。いまの我々が見つめようとしている「多様性」とは別のもののような気がする。サステイナブルだのレガシーだの、そんなのもちろん考えない。

というところと、ロンドンの社会から離れて引退した老人たちやパリのアメリカ人として登場するRaymond Duncan - Isadoraの兄ね - の語る言葉のごくふつうの正しさ、のようなものは(普遍的とまでは言わないけど)いまのそれらと地続きだと思うし、そういういろんな要素を乱反射させながら投げてくる(そして投げっぱなしの)強さはOrson Wellesではないか、とか。

自分が世界をどう見るかを考えるとき、世界が自分をどう見ているかもそこに強烈に入ってくる。はずで、ここでのWellesと”Around the World”はそうして交錯するふたつの矢印がきちんと調和している気がする。最近のSNSとか見ているとその辺がどうしようもなく、病的に崩れていて修復しようがなくなっているようなー。

あと、闘牛ってやっぱり残酷よね、とか。あれが許されて喝采されるのに捕鯨はダメってわからない - いまはもうどっちもダメ、でいいと思う。

Saint-Germain-des-Présでちらっと出てくるJean CocteauとSimone de BeauvoirとJuliette Grécoのとこ、ここはWellesが撮っていなくて後から載せたかんじがした。


土曜日は頭痛で一日動けなくて、今日、日曜日の午後から積んである本の山に取り組みはじめた。2年前の一時帰国のときに買った本はかろうじて憶えているのだが、その前の帰国のときとか、赴任直前に買っておいたのとかはあまり憶えていなくて、ああこんなのがある、とか新鮮で楽しい。けどまあどうやっても山を動かして同じサイズのとかシリーズのを合わせていくのが精一杯で、合わせるのはトランプの神経衰弱でこれはさっきあそこにあった、って山を崩して戻してを繰り返すばかり、それって前に進んでいるかんじゼロで、そうして遊んでいられるのもいまのうちだ、とか。
あとは雑誌類がばかみたいに多い。90年代のNew York Magazineとか懐かしくてついめくってしまって時間が。
あと思い出したのは本ってある高さを超えるとコントロールうしなって崩れる、とか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。