5.22.2021

[film] Heaven Can Wait (1943)

ああ自分はなんてひどい棄民の国に来てしまったのだろう、と絶望するしかないような事態や発言が上の方から恥ずかしげもなくわんさか流れてきて、こんなことならヒースローに行く手前でとんずらして向こうで捕まった方がまだましだったかも、てしみじみ思うのだがもう遅い - 外には出れない - 映画は見れない - 仕事はなんか降ってくる - 寝て忘れようにも寝すぎ - 低気圧頭痛の嵐 - なのでなんか書く。

5月9日、日曜日の昼、Amazonで見ました。4Kリストア版があるはずなのだが再生された画質はそんなによくなかった。邦題は『天国は待ってくれる』 - うん、待ってくれるよね、という想いをこめて見ていたのだが、いまは、待ってくれるのが天国というものなのだから待っていてね、という祈りの方に変わりつつあるかも。

Leslie Bush-Feketeの戯曲 “Birthday”を翻案したもの。Lubitsch作品としては”To Be or Not To Be” (1942)に次ぐやつで、初のカラー作品。この次の”Cluny Brown” (1946) も大好き。

Henry Van Cleve (Don Ameche)は天国と地獄の手前のオフィスみたいなところにやってきて、そこの受付にいるHis Excellency (Laird Cregar) - ていうけどサタンだよ - と相対して、自分はたぶん地獄におちるのだと思う、というHenryに、後ろからやってきたおばさんを地獄に叩き落としたりしつつ、まあ話しを聞こうじゃないか、とサタンが言うのでHenryは生まれたとき - 19世紀後半のNY - からのことを話し始める。

それはもうただひたすら女性のケツを追い回す、という点においてDNAだの手癖だののようなところから一貫していて、それはフランスのマダムにこう言われた - “Kiss is like candy. You eat candy only for the beautiful taste, and this is enough reason to eat candy” - ときから、どこまでも呪いのように彼を促し縛りあげて、加えて孫に甘い祖父のHugo (Charles Coburn)が煽りまくるのでどうしようもない。

こうして街の本屋 - 5番街にあったBrentsno’s だわ - で見初めたMartha (Gene Tierney)がまじめな従兄弟のAlbert (Allyn Joslyn)の婚約者として目の前に現れたときは快哉を叫んで彼女を堂々と略奪して結婚しちゃうの。

この調子で結婚したあとも彼は女性を追い回すのをやめなくて、Marthaは悲しんで出ていったりもするのだがその都度どうにかなって、月日は流れてはっきりと語られないまま祖父もMarthaもいなくなっていくのだが、それでもなんだかんだ総合すると彼は最後までMarthaのことを愛したのでした、というお話し。

よくありがちな女たらし一代記で、”To Be or Not To Be”とか迷おうにももう死んでるし、その人生に裁決をくだすのも魔女ではなく男のサタンなので、どこまでも男に都合のよい男性ムービーのようでありながら、待っているのは天国ではなくてMarthaだから、というその一点だけで言い訳のようにぐだぐだと切り返してくるの。 Martha、あんたって女はほんとにバカのお人よしだよ、って沢村貞子あたりに怒られてほしい。

Don Amecheのすごいプレイボーイにはとても見えない、なにを考えているのか余りよく掴めない薄ぼんやりとした表情もよいの。 Don Amecheというと、なんといっても”Cocoon” (1985)で、公開当時一回のチケットで3回続けて見たりしていた”Splash” (1984)の次にきたRon Howard作品で、これも泣いたのよねえ。ここのDon Amecheも天国の手前にいる役だったねえ。

こういう死ぬ手前の行列ドラマだと”A Matter of Life and Death” (1946)がとっても好きかも。天国か地獄か、でも、生きるか死ぬか、でもなく、わたしは生きたいのです、とはっきりと言うやつ。この映画のDavid Nivenて、Don Amecheにちょっと甘くてもやもやしそうなところが似ている気がする。

今のように地獄の蓋がでっかく広がりまくっているときでも天国は待ってくれるのかしら?

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