12.28.2010

[film] Seven Men from Now (1956)

26日から、Lincoln CenterのFilm Societyで"20 Years of Martin Scorsese’s Film Foundation"という特集がはじまった。

こないだ見た”Limite”(1931)の修復もこの団体がやったのだったが、世界中のいろんな名作を修復してアーカイブしているここの設立20周年で、これまでに関わってきたいろんな作品をお蔵だししてみましょう、と。

たぶん、暮れから正月はこれに通っておわるんだ。

んで、26日は、まるいちんち4本、ぜんぶ西部劇の日で、そのうち3本を見て、1本だけMOMAにいった。

Lincoln Centerでのだしものは、順番に"The Big Sky" (1952) → "Seven Men from Now" (1956) → "The Big Country" (1958) → "Once Upon a Time in the West" (1968)

で、このなかで、見なかった1本ていうのは、"The Big Country"ね。
会員じゃないひとは1本$12なのだが、3本パックというのがあって、これが$27なの。

雪吹雪の日にこういうのを見るのもなかなかいかった。
客はどの回もぜーんぜんいなくて、前の座席に足なげだしてだれだれになって見てた。
極楽でしたわ。

"The Big Sky" (1952)  邦題『果てしなき蒼空』 138m.

Howard Hawksなので、なんでも、なにみてもいいにきまってる。
19世紀のはじめ頃、流れもののKirk Douglasが旅の途中で若者(Dewey Martin)と出会って、若者のおじさんの船にのって毛皮の交易でミズーリ河をのぼっていくの。

船はSt.Louisから出てるのでフランス語話すやつとかいっぱいいるし、インディアンもいるし、旅の途中で当然、悪党とかインディアンとか、いろんなのが出てきていろいろあったりするの。

西部劇、というよりは群衆劇にちかくて、ひとりひとりのキャラクターの造型とかちゃんとしてて、明確なヒーローとかヒロインがいるわけでもなくて、強烈な悪人がいるわけでもなくて、全てが一件落着するわけでもなくて、今のダイバーシティの時代を200年先取りして、でっかい空の下、に実にでっかい、揺るぎない物語が展開していくの。 

人々はこんなふうに集まってやりとりとかいざこざがあって、それでまたそれぞれのところに散っていく。
でもまたどっかで会えるさ(会えないだろうけど)、みたいなおおらかなかんじが、とってもよい。
肌の色とか赤とかテロとかわあわあ言いだす前のアメリカはこうだったはずなんだけど、って。

そう思ったときに、"The Big Sky"ていうタイトルがまたしみてくるのよね。


"Seven Men from Now" (1956) 邦題『七人の無頼漢』  78m.

そういえば、Budd BoetticherのBox、買ったけどぜんぜん見てないや。

冒頭の稲妻の轟音でみんなびっくりしてた。

無愛想なシェリフ(Randolph Scott)がなんかを追っかけているらしく、その途中で南に行くっていう夫婦と一緒になって、南のほうはあぶないからやめたほうがいい、と言ったのに彼らはどうしても行く、っていうのでついていくの。
そのうち悪そうな連中(Lee Marvin、すごし)も一緒になって、彼らの会話を通してだんだんいろんなことが明らかになっていくの。

ものすごくおもしろくて、Eastwoodが影響受けた、というのがよくわかるつくり。

ああいう原野のまんなかで、善悪とか法とか、そういうのっていったい誰が、いつ決めるのか、という話なの。
それって数(Seven Men from now)できまるのか、銃の扱いがうまいやつなのか、シェリフだったらなにしてもいいのか、復讐は許されるのか、アウトローは(Out-Lawだから)適用外なのか、とか、いろいろ。

そして、そういうゲームのルールとか規範とか、骨組みたいなのを外したり棚上げしたりしてみたときに、西部劇というドラマはどんな様相をみせるのか?

照りつける光と影と、そこに浮かぶ幽霊のような人の姿とか、それらの間をすりぬけるように冒頭の稲妻のように一瞬でカタがついてしまう銃のアクションとか、そういうのが焼きついてくるの。 

純化された活劇、のようなものとしての西部劇。

それでじゅうぶんかっこいいから、いいの。  ...で、よいのか、な。

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