12.20.2010

[film] 1900 (1976)

土曜日は、映画1本に、ライブ1本。 それにしてはへろへろに疲れた。

前日に続いて、Bertolucciのレトロスペクティブから、"1900"を見る。

金曜の晩にチケットを取ろうと思ったときに、ついでに取ろうと思って聞いたらその時点で既に売り切れてて、ただ当日の9:30から追加の席がでるので、それを狙うしかない。

で、10時過ぎに行ったら案外あっさり取れて、上映開始の2:00まで十分時間があったので、近所をうろうろする。

Bergdorf Goodmanの7階の古本屋。
Peter Ackroydの”Dressing Up: Transvestism and Drag, the History of an Obsession”の初版があって、どうしようか散々悩んで、とりあえず保留。

あとはクリスマスのオーナメントがいろいろあって、かつてはここのを毎年買っていたのだったが、買っても持って帰れるとは思えないので、これも我慢する。

あとはRizzoriみて、ここでも買わなくて、そうしているうちにお腹がすいてきたので、Le Parker Meridienのバーガー屋に久々にはいる。何年ぶりかなあ。
極めてスタンダードだし、悪くないとは思うものの、そんなに高い評点つけなくても、といっつも思う。

更にまだ時間があったので、MOMAに入ってあれこれ。

19日から始まる展示"Andy Warhol: Motion Pictures"のメンバー向け内覧会をやっていたので、入る。
http://www.moma.org/interactives/exhibitions/2010/warhol/

Warholの白黒映画いくつかを壁面ディスプレイ上にずっと投影している。
薄型壁掛けディスプレイができたことで、こういう展示も可能になったのね。

入り口のとこに有名な"Blow Job" (1964)とか”Sleep” (1963)とか、まんなかで一番スペースを取っていたのが、"Screen Tests" (1964)で、ひとり一枚ずつ掛かっている。
もっともおもしろかった並びがSusan Sontag - Dennis Hopper - Kashe Dees - Edith Sedgwick - Lou Reed - 岸田今日子 - Jane Holzer(ずっと歯磨きしてる)。
他には、NicoとかAllen Ginsbergとか。

みんな、64年当時の表情のまま、だまってこっちを見てて、時々笑ったりする。
こうやって並べてみると、Motion Pictureていうのは、動く絵、なんだなあ、って。  
それにしてもきょんきょんすごいぞ。

一番奥の、椅子付きの部屋で上映しているのが"Kiss" (1963)。
時間があったので結局ぜんぶ見てしまった。58分。
ふたり組、ふたつの人の頭がキスをしているとこを頭部のクローズアップだけで延々映している、だけ。無音。各組5分くらい。
男同士、ひげ男とおんな、肌の色のちがい、男が上、女が上、接吻みたいなKiss, 口吸いみたいなKiss, 食事みたいなKiss, ぜんぜん動かないKiss, Kissにもほんとにいろいろあって、なんておかしな行為なんでしょう、というのがしみじみわかった。

もういっこみた展示は、”On Line: Drawing Through the Twentieth Century”。

http://www.moma.org/interactives/exhibitions/2010/online/

いろんなDrawing、線を引く、線を描くという行為、その成果から20世紀のアートを概観してみる。 平面の画だけではなく、彫刻もコンセプチュアルアートも、William Forsythe, Trisha Brown, Anne Teresa De Keersmaekerといったダンサーがその表現のなかで描いた線も。
個人的には、Kandinskyの本「点、線、面」用に描かれたDrawingがずらーっと並んでいるところにはまった。 時間なかったので、またあとで。

"1900"は売り切れていた。
315分の映画をちゃんとフィルムで見る機会ってあんまりないからね。
日本では無理どころか、フィルムすらもうないのではないか。

1900年の同じ日に生まれた地主の息子と小作人の息子の年代記。一次大戦、二次大戦を跨がって、彼らは、彼らの世界はどう変わっていったのか。

どちらが主人公、というわけでもなく、時代や世界が彼らをどう変えていったのか、がメインにあるわけでもなく、四季の移り変わりのように、人が老いていくのと同じように、変わるべくして変わっていったいろいろな関係を淡々と追っている。

少年達の夏、絆が確かとなった秋、厳しく耐えるしかない冬、ふたたび芽がでてくる春。 オペラの舞台装置のように四季は移り変わり、ひとも変わっていく。それだけのこと。

Bertolucciの歴史観や階級史観、ファシズムの描き方等々について、その確度について云々することにそれほど意味があるとは思えない。 ナレーションや説明なしでも全てがそれとわかる、時間が経過し世界が変化したことがわかる、そういう描き方をする、その描き方を徹底していくことで、オープニングの民衆の絵のような、堂々とした絵巻俯瞰図を描く、彼がやろうとしたのはそういうことで、それは成功している。
まったくだれることなくて、おもしろくて、あっというまだったし。

支配階級の顔、農民の顔、悪人の顔、すべてがすぐにそれとわかる、そういう顔。
彼らの顔が彼らの顔に「なる」、その瞬間に世界のありようが、世界が彼らに光をあてるそのやりかたが、露となる。 
Bertolucciが映画を通して語ろうとしたこと、全ての作品ぜんぶで1本の映画、ということの意味がもっとも解りやすく出た作品かもしれない。

それ以外のとこは、階級闘争も、ファシストとの闘いも、所詮はイヌの喧嘩だろ、とか。ね。

Robert De NiroもGérard Depardieuもまだぴちぴちに輝いている。
ちんぽこまるだしにしたって、ぜんぜんへいきさ。
Dominique Sandaも息をのむくらいに美しいねえ。

そういえば、金曜の晩のLate ShowにDe NiroとDustin Hoffmanがふたりで出てて(例の映画のプロモーション)、なかなかおもしろかったのだが、彼らの老人像をあたまに置いてこの映画に来ると、なかなか感慨深いものがあった。ラストシーンとかはとくに。

いつものような動物大集合もたのしい。豚の屠殺と解体も勉強になるし、いろんな糞が大々的にfeatureされているとこもすばらし。 
ラストのもぐらのとこは、なんか泣きそうになった。

客席の前のほうはイタリア映画大好きそうな老人衆が多かったのだが、猫殺しと子供殺しのとこは、みんなで「ひぃ」とか唸りまくってておもしろかった。
ファシストに糞を投げるとこはみんな拍手してるし。
そして最後ももちろん大拍手でしたわ。

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