12.22.2010

[film] Deep End (1970)

月曜日の晩は、Carnegie Hallで年末恒例の”Messiah”があって、同志Mが歌う(そう、同志MのやろうはCarnegieのステージに毎年立っている)のを聴きにいくはずだったのだが、会議でだめになってしまったので、それよか遅い時間にやっている映画のほうに試しに走ってみたら、こっちはぎりぎりで入れた。

なんでか突然、Lincoln Centerで組まれたJerzy Skolimowski特集(2本だけだけど)。
監督の挨拶つきで、最新作の"Essential Killing" 上映(これは時間的にむり)、そのあとで、40th Anniversary screeningということで"Deep End" (1970) - 『早春』、ですね。

Skolimowskiは、結局、『アンナと過ごした4日間』も見逃してて、だからこれがはじめて。

上映前の監督挨拶はポケットに手つっこんで、サングラスの向こうからギャングみたいにこっちを睨みつけて、「Skolimowskiです。 あーさっき挨拶した連中もいるな。 えー繰り返しになるけど、自分にとってのBestはさっき上映した"Essential Killing"で、Second Bestがこれだ。 よろしく。」  こんなかんじ。 かっこいいー。

プール付きの公衆浴場で働きはじめた15歳のマイク(John Moulder-Brown)が同僚のスーザン(Jane Asher)を好きになって、彼女のことを一途に追っかけまわして、そのあげくに。

ストーカーもの、て言おうと思えば言えるのだろうが、主人公の容貌のせいかそういう気持ちわるさ(執着や計算)はあまりなくて、思春期の少年のやみくもで切羽つまった思いが奇行を生んで、やがて自分でもなにをやっているのかわからなくなっていく。 その目線や視界の混乱とあたふた錯乱したかんじが、フィルムの隅から隅まで充満している。

『早春』ていう邦題もわるくないけど、要は『やけくそ』 ってことだよね、これ。

こういうちょっと変な、変になっちゃった若者をテーマにした映画は日本にも昔からいっぱいあるが、これらをぜんぜん見る気がしないのは、「あたしって天然なの」ていう女のひとが実はぜんぜん天然じゃないのとおなじで、ちっとも変にみえなくて滑稽なだけで。

この映画、スーザンも、その婚約者も、職場のひとたちも、その客も、「まとも」と呼べそうなひとはひとりも出てこない(この辺の微妙な怪しさ、それを瞬時に切り取る手つきの鮮やかさ)。
極端なクローズアップとみごとなロング、そして突然走りだしたりするカメラが、そいつらのいかがわしさを際立たせ、マイクの焦燥と苛立ちを眩暈とともに運んでくる。

主人公は殆どしゃべらない。独白もしないし正面切って告白することもない。
興奮した獣とおなじで、檻のなかをふーふー言いながら行ったり来たりしている(たまにホットドッグを食べる)だけで、そのうちお堀(プール)に落っこちちゃうんだけど。

あと、なんといっても特筆すべきはその色彩で、冒頭の血のような口紅のような赤、スーザンの赤毛と黄色いコート、壁の錆びたような緑、そしてプールの水の青。 水中撮影の美しさには息を呑む。 この透明な青、死んだインクのような青のなかでのみ、彼は彼女の裸に触れることができるの。

音楽は、主題歌がCat Stevens。 
そして、いかがわしい繁華街のなかで延々流れるのがCANの"Mother Sky"("Soundtracks" -1970 にも入っていた)。   大画面の上でのたくるHolger Czukayのベース、夜を切り裂くMichael Karoliのギター、これらが衝撃的なまでにはまっている。 CANの音って、どちらかというと単独でひとつの世界を作ってしまう、囲ってしまうようなイメージがあったが、そうではなかった。 すさまじい相乗効果をうんでいた。

"Essential Killing"も見たいよう。


火曜日なので、"Glee"を楽しみにして帰ったらやっていなくてかなしかった。
かわりにSNLのChristmas Specialをやっていたので機嫌がなおった。なつかしーのがいっぱい。

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