12.30.2010

[film] Pandora and the Flying Dutchman (1951)

もう雪は降っていなくて、道路の両脇にどっさり高く積まれていて、この状態でなにが困るかというと、道路の反対側に渡るパスが信号のところに限定されて、その狭いパスのところに半溶けになった雪が、宇治金時氷の最後のほうのぐじゃぐじゃとか、かき氷雑巾バケツシロップがけ(そんなのないけど)とか、そんなかんじにとぐろを巻いて溜まっていて、ようく見て足を踏みださないと靴下がみるみるうちに雑巾になってしまうことだ。

というわけなので、しょうがないので、火曜日の晩もLincoln Centerに通う。
ここんとこ毎日映画ばっかり見ている気がするが、この年末に

(1)年賀状とかクリスマスカードを書かなくてもいい (←筆と硯がないし...)
(2)大掃除もしなくていい (←どうせ仮住まいだしね)
(3)忘年会とかパーティもない (←友達がいないってことね) 
(4)お買いものもできない (←これ以上荷物が増えたら帰国できなくなる)

てなったら、ひとは映画館とライブハウス以外にいくところなんてあるのだろうか?  
いやない! (←あるよ...)

見たのは、51年のAlbert Lewin監督作"Pandora and the Flying Dutchman"。
ばりばりに美しいテクニカラー、総天然色の極楽が122分間続く。

内容は、ギリシャ神話のPandoraのおはなしとFlying Dutchman -「さまよえるオランダ人」- の伝説を1930年のスペインの海辺の町を舞台にミックスしてみました、と。

神話とか伝説というのは、例えば愛の究極とか原型とか理想とか、そういうのを純化・抽象化したかたちで我々に教えてくれるものであるが、それを現代のラブストーリーとして再構成してみよう、と。

日本だったら、かぐや姫と好色一代男、みたいなかんじ? ちがうか。

Pandoraはものすごい美人で、男はいっぱい寄ってくるものの愛とか恋とか信じてなくて、ふられた男がやけになって自殺しても眉ひとつ動かさないようなやな女で、どうやって生計を立てているのかしらんが、毎日きれいな服を着てしゃなりしゃなりって歩いているの。

Flying Dutchmanは、ある日突然ヨットで海上に現れて、でも他の乗組員はいないし、どうみても怪しい。

Pandoraはそのヨットを見たとおもったら、突然服脱いでそれに向かって泳ぎだし勝手にヨットに乗りこんで「だれかー?」とかいうの。 おまえこそだれだよ、なのれよ、ってふつうおもう。

Pandoraはその一挙一動があんたなにさまだよ、て癪にさわるし、Flying Dutchmanは一生ひとりでさまよってろ、て思うし、そんなふたりの周りによってくる連中も車きちがいとか、暴力ひとすじ闘牛士とか、そんなのばっかりで、まともなのは語り手の考古学者といけてないその姪くらいなの。

全てがこんなふうで、常軌を逸したありえないようなことだらけなのだが、神話というのはそういうものなのだし、Pandoraを演じるAva Gardnerはまぢで、こりゃ神だわ、と平伏してしまうくらいに美しいし、不死身の(殺されても死なない)Flying Dutchmanを演じるJames Masonも煉獄をしょいこんだような暗い顔とロボットみたいなしゃべりがはまっていて、それが夜の光を多用した夢のなかを漂うような撮影(by Jack Cardiff!)によって、やっぱしこれだ、これしかない、くらいのところまで盛りあがる。 (BGMはRoxy Musicしか思いつかない)

というわけで、普通の愛なんていらない、愛のためなら死ねるような愛だけがほしい、と願うふたりの行く末はもうその最初から見えているのであるが、しかしこのふたりってこの理想を共有しているってだけなのな。
顔が不細工で気にいらなかったり、服のセンスがひどかったりしても、それでも結ばれる、結ばれたいって願うのかな? ....まあ極限の愛とか宗教とかってそんなもんなんだろうな。

だから最後のほうのふたりのダイアログは、そこだけ離れて見るとたぶんああこのふたりは頭がおかしくなっちゃったんだ、と思うにちがいない。 それくらいすさまじいのだが、これこそが監督の描きたかったロマンなのだろうし、"marks a peak in high 1950s romanticism"(←Lincoln Centerの説明文)なのだと思う。

死と隣り合わせの究極の愛、これが100%プラトニックなとこで、エロとかどろどろしたとこ殆どぬきで成立してしまう。 というか成立させるんだ、という強い強い意志がこの仮構の、それこそ神話のような強度をもった物語を成り立たせているように思えて感銘をうけました。

あと、とにかく、Ava Gardnerて、こんなに美しいひとだったんだー、というのを再認識するための映画、です。
この映画のスチールを監督の友人のMan Rayが撮っている(更にDitchmanの描いている絵も彼による)のだが、それがじゅうぶん納得できてしまう、ただただ美しいだけの宝石箱みたいな映画、でもある。

で、そんないろんな美にさんざん痺れたあとで、どぶ川みたいになった歩道をぴょんぴょん跨ぎながら帰ったのだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。