3.01.2023

[film] Les favoris de la lune (1984)

2月22日、水曜日の晩、ヒューマントラストシネマ有楽町のイオセリアーニ特集で見ました。
邦題は『月の寵児たち』、英語題は“Favorites of the Moon”。

イオセリアーニがフランスに来て最初に撮った長編で、同年のヴェネツィア国際映画祭で審査員賞を受賞している。脚本は”Tess” (1974)とかRoman Polanski作品などを書いてきたGérard Brachとイオセリアーニとの共同。

冒頭、リモージュの綺麗な絵皿がテーブルにアタックした犬によって粉々になり、同様の皿が焼かれたり取り替えられ、また壊されたり、それらが過去と思われるモノクロの映像でも繰り返されていくので、ずっとこんなふうだったのかしら、とか。

同様に19世紀に描かれた裸婦の絵画が出てきて、これは壊されるのではなく盗まれて、盗難が繰り返されるたびに額縁からナイフで切り取られるのでサイズが小さくなっていく。

画面には次々といろんな人たちが現れる - 爆弾を作っているおじさんとか、空き巣コンビとか、娼婦たち、画廊を営む女性とその愛人、ネイリスト、テロリスト、執事、革命家たち、弦楽四重奏団、ジャンク系のロックバンド、などなど。それぞれのグループにも個人にも明確な関連や絆はないようで、たまたまそこにいたそれぞれの場所、建物や部屋や路上に、それらに侵入したり通り抜けたり匿ったり、やったりやられたり、それぞれのやること/やるべきことに従ってランダムに、淡々と無表情に動いていく。それぞれの動きにはなんのギャップも惑いもなく、すべての動きがコレオグラフされているようで、でもどこかの、ある共通の目的とか陰謀とか指揮に従っているかんじもない。月の晩にカニとか生物が一斉に動き出すような – ただし生殖行為ではなく、どちらかというと破壊工作の方の – 先の見えないかんじがあって、それぞれの散らかったガラクタでポンコツな動き - 善悪とか倫理は棚上げ - がほんのりとおかしい。主役も脇役もなく、ストーリー? そんなのの導線も伏線もない。ただがたがた動いて呻いたり騒いだりして、画面から消えるとそれでおわる(だけ)。唯一あるとすれば、壊された皿とか盗まれた絵が、彼らをリレーで繋いでいって、おそらくこういうの(人間は狩猟で自然と結びつけられ云々)が太古から繰り返されてきた、みたいなことも語られるのだが、”So What?” しかない痛快さ。

“an abstract comedy”というらしいが、そんなかんじ。 なんかおかしい – ものすごくおもしろいと思った – のだけど、これがなんでおかしいのか考えざるをえなくなるような。すると、そんなの考えてどうなるもんでもないよ、って言われたり。

この時代なので、なんとなく、ゴダールの”Prénom Carmen” (1983) -『カルメンという名の女』とか、”Soigne ta droite” (1987)  -『右側に気をつけろ』とかのB級駄菓子風味 - だいすき – を思い出して、この流れに置いてみるとか。


Un petit monastère en Toscane (1988)

2月20日、短編2本上映の日にヒューマントラストの有楽町で見たやつの1本。邦題は『トスカーナの小さな修道院』。57分。

トスカーナの小さな修道院に5人の修道僧がいます、っていうのが冒頭に字幕で出て、そこから修行や祈祷の場面のほか、彼ら(年長者が1名、若者が4名)の食事や村人とのやりとりだけでなく、村人の方のワイン作り、豚の解体、農作業、洗濯、などの仕事や生活の場面もあり、そこでの会話もあるのだが、会話の場面に字幕は入らない(わからなくても大きな支障はないけど)。修道院の日常と村人の日常との間になんの壁もなく、その隙間をワインとか動物たちが埋めている、という。  ドキュメンタリーというよりは一枚の絵を描こうとしているような。

一番最後に、「もし全てがうまくいっていたら- 20年後に同じ場所、同じ人々を描いた続編が撮られる」と出るのだが、もちろんうまくいかなかったので『唯一、ゲオルギア』が作られて、村の人々の生活はこちらの方で描かれたのではないかしら。


Lettre d'un cinéaste. Sept pièces pour cinéma noir et blanc (1982)

もうひとつの短編。『ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片』 21分。
イオセリアーニがパリに渡って最初に撮った作品だそうで、なにが七つなのか、なんで七つなのかも不明なのだが、手紙というのはそういうもの。

祖国から離れた(離れなければならなかった)映画作家の映像による手紙、というとJonas Mekasのそれを思い浮かべて、その違いを考える。元の国、出なければならなかった事情、パリとニューヨーク、でも作家なんだから比べてもー。

あと、ホームで酔っ払って怒鳴って楽しそうなふたりは、『月の寵児たち』にもそのまま出ていたような。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。