3.17.2023

[film] EEAAO (2022)

3月8日、水曜日の晩、109シネマズ二子玉川のIMAXレーザーで見ました。”Everything Everywhere All at Once”。

この作品については昨年の6月にA24のScreening Roomで見た後にここに感想を書いて、その後9月に米国に行く飛行機のなかで見て、こないだ英国に行く飛行機内でも見て、でも画面にはごちゃごちゃいろんなのが詰めこまれているので大きなスクリーンで見たほうがよいと思っていたのと、この翌週にオスカーをいっぱい獲りそうなのでその前に、というのもあった。

オスカーについては、まさかあんなにいっぱい獲るとは思っていなかった。オスカーそのものは太古から別にどうでもよくて、受賞が引っぱりあげる個々の映画の評価はまったく別ものだと思うので、獲ろうが獲るまいがー、なのだが、これによって業界のお金のかけ方とか風向きが変わることは確かなので(こういう影響力のありようがそもそもおかしい、のはずっと言われているしそうだと思うけど変わんないよね..)、旧来型のハリウッド大作ドラマとは程遠い、小賢しそうなオタク系(偏見です)がパンデミックのなか手作り感満載で編みあげたこういう小品(だと思う。テーマやスケールは別として)が受賞したのはインパクト小さくないと思う。

あと、(おそらく)今回の件を受けてのPaul Schraderによるアカデミーはアメリカを中心とした映画賞に回帰すべき、というのもわかるけど、わかるけど、そんなことを言っても、になるかなー。

あと、日本の公開が本国公開から(おそらくオスカーを見越して)1年以上遅れた –くだんないタイトル省略とかのプロモーションを嬉々としてやっている件については、いつもながら吐き気しかない。こういうのがないバースにジャンプしたい。

映画として、そんなに悪いものではないと思うし、Michelle YeohもKe Huy QuanもJames Hongも大好きなので、おめでとう! なのだが、すごく好きな作品かというとどうも微妙で、受賞に伴う熱狂にもついていけないかんじがあって、それってなんなのか、どのへんなのか、を改めてメモとして書いておきたい。これ、たぶん2年くらい経つとあまり思いだしたくないゾーンに移行して、10年20年経ってそういえば、って再評価される、そういう奴なのではないか。

アメリカ西海岸に移民として渡ってきたアジア人家族のお話。ここにIRSの役人による偏見、レズビアンへの偏見、外見(デカ鼻)への偏見、家父長制(特に親から)の縛り、疲弊する仕事、疲弊する夫婦関係、などなどが年に一度の確定申告の(ぜんぶ総括する)タイミングで一挙に降りかかってきて、もういいかげんにして! って天を仰いだところでアルファ・バースからよくわかんない救い - 向こうからバース・ジャンプっていうのでいまの自分にはないスキルとか特技をもった別の自分が憑りついて、なん溶かしてくれる、という。

これがよくある「自分探し」の話だったらつまんないものになったと思うのだが、それとはちょっと違って、「自分」とはありとあらゆるところにいる全部だったー、という。

でも、さて、別のバースで生きている自分て、「自分」なのか? 自分なのだとしたら何をもってそれは「自分」と同定されるのか? とかその辺。本当はこうあってほしかった/ひょっとしたらこうなっていたかもしれない自分って、ヒーローに変身するやつでよくあるけど、それとどう違うのか。変身するときには突拍子もない変なことをするように求められるけど、その突拍子もないこと、ってその社会の規範のなかでの「突拍子のなさ」だとおもうがそこは誰が判定するのか、とかいろいろ。

その辺が面倒なので、これまでは別次元からHoward the Duckみたいのを呼び寄せるとか、Hulkみたいに薬物で化けるか、Ant Manみたいにスーツで変わるか、のような手を使ってきたのだと思う。 あと、たぶんここには自分を変える/救うことができるのは自分だけ、のようなメッセージもあって、でもこれをやると、映画のテーマの真ん中にもあった家(親)との確執問題が不可避になるのと、偏見や差別で弱い立場に立たされていて自分ひとりではどうすることもできない人たちの問題が逸らされてしまうことにならないか。

もちろんこれはコメディなので、そこら辺をぜーんぶまるめてーべーぐるー、ってやって、確定申告の危機を乗り越えたところで朗らかに終わってしまうし、家族もみんなが解りあえているわけでもない状態でとりあえず親は子供に謝ってみたりするのだが、こんなジャンプができることを知ってしまった後、彼らの世界はこれまでのものとは違ってしまっているはず。ここのバースはやってられないのであっちに行こう、とか移民状態が加速していくのでは。というか苦難の最中にあるヨーロッパの移民からすれば冗談じゃない話よね。そして実際にはこれらも含めたこの世界のありよう(に対する認識)がなんとなく丸くおさめられてしまうだけなのでは。

ベーグルの全部のせ、というとマンハッタンのアッパーウェスト(Broadway & 80th – もうここにはないけど)にあったH&H Baglesので、店頭であつあつのを買って”Everything”をぼろぼろこぼしながら頬ばるのが大好きだったなー。

あと、Evelynは世代的にはもろパンク(カーディガン参照)で、JoyはたぶんMillennialsで、その辺を考慮しておくと面白いかも。なんで彼女がランドリーでカラオケ大会をやろうと思ったのか、とか。西海岸パンクかな?

まだまだくだんないこといっぱい書けるわ。案外好きなのかも。


どうでもよいけど、E.ゴッフマンの『行為と演技』が新訳で文庫になるって。すごーい。長生きはするもんじゃのうー

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