3.26.2023

[film] Aux deux colombes (1949)

3月20日、月曜日の晩、シネマヴェーラのサッシャ・ギトリ特集で見ました。
ギトリ作の同名戯曲を映画化したもので、お話しはアパートの一部屋から外に出ない(除.冒頭のとラスト)。邦題は『二羽の鳩』。この辺まで来ると、なにを見てもおかしくて楽しくて止まらない。

冒頭はいつもの撮影所での裏幕 〜 裏方紹介で、今回は役者の仕事を求めてやってきたRobert Sellerがアピールした役柄をぜんぶフラれて、しょんぼり帰ろうとしたぎりぎりのところで使用人の役を貰う。なのに実際の出番ときたら…(この人はいつも使用人役のそういうポジションなの)

Jean-Pierre (Sacha Guitry)はある朝、見知らぬ女性の声で「今日サプライズがあるわよ」っていう謎の電話を受けて、なんだろう? って妻のMarie-Thérèse (Suzanne Dantès)に振ってみるのだが、彼女はそんなの知るかってどうでもいいふうで、このふたりのやりとりからこの夫婦の関係はどちら側からもどうでもよい冷えきったものになっていることがわかる。

Marie-Thérèseが外出してしまった後で、22年前に結婚していて南米で火事にあって死んだとされていたMarie-Jeanne (Marguerite Pierry)が弁護士だという若いChristine公妃 (Lana Marconi)を伴って現れる。電話での「サプライズ」というのはこのことだった。Marie-Jeanneが亡くなった後にJean-Pierreは彼女の妹であるMarie-Thérèseと再婚して20年以上一緒にいて今に至る、と。

Marie-Jeanneは南米ペルーの映画館での火災の後、記憶を失ってしまったためずっと療養院で暮らしていて、そこで受けたショック療法で徐々に記憶を取り戻し、ようやく外に出られるようになったのでここまで来れたのだ、と。Christineとは療養院で知り合って、先日亡くなった叔父の遺産が手に入ったのでこれについて妹にも話さなきゃいけない、と。

彼女はJean-Pierreが自分がいなくなった後に妹Marie-Thérèseと結婚していたことを知らないので、Marie-Thérèseが自分の家であるかのように(自分の家なんだけど)帰ってくると失神してしまう。- 病院帰りのせいかMarie-Jeanneは言動も挙動もところどころネジが外れてておかしくなっていて、そこをChristineがケアしている。

こうして、なんでJean-Pierreは自分が死んでいないのに - ちゃんと確認したの? 遺灰とかみた? - 再婚してんの? しかもよりによって自分の妹と!? っていうMarie-Jeanneと、20年以上なんの音沙汰もなかったあんたにとやかく言われる筋合いないし、というMarie-Thérèseは天地がひっくり返るような大喧嘩を始めて、でも延々続いたその応酬の果てにふたりはひとつのベッドで仲良く寝てしまいましたよ - って女中のAngèle (Pauline Carton)から報告が。

そして、Jean-Pierreの欲望の炎はChristine公妃が入ってきた時から明明白白、お茶の間がJean-Pierre vs. Marie-Thérèse vs. Marie-Jeanneの3者による大審院に変わってしまってからも彼はChristineの目ばかり見つめてご機嫌を取ってばかりでしょうもない。

もちろん重婚疑惑の渦中にあるJean-Pierreからそんなモーションかけられても .. だったのだが3人共互いにどうとも思っていない(勝手に生きれば 〜 勝手に生きます) ことがはっきりすると、にっこりしてJean-Pierreの手をとるの。そんなばかなー、としか言いようがないけどChristine役のLana Marconiさんはギトリの5人目の - そして最後の妻となる女性なので、またあれかー、しかない。

このあと、ふたりの前妻が遺産をつかって二羽の鳩として仲良く一緒に暮らして、Jean-Pierreはお望み通りChristineと一緒になるハッピーエンディングは、リアルストーリーとしては、この数ヶ月後にChristineはたまらず老人から逃げ出して、になるに違いないわって思うのだが、それは同様のエンディングで終わるギトリの他のドラマでもぜんぶそうではないか、と思われる。

そしてこんなドラマの沸点の置き方、というかご都合のありよう - 起こっちゃったこと/好きになっちゃったことはしょうがない、こそ、ギトリが映画によって実現できると信じて組み立てようとした論理というのか倫理といってよいのか、だだの老年男性のファンタジー/欲望たれながしじゃねえのか? なのだが、彼はどこまでもこれが儚く壊れやすい作りものであることに自覚的で、(だからと言ってなあ、はあるけど)しょうがないのかも、って。

あと、聖人暦がぜんぶ頭に入っていてすぐにすらすら出てくる女中のAngèleが相変わらず絶妙で絶好調だった。


日仏学院で3日間に渡って上映された『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』(1914-15) をついにぜんぶ見ることができた。もうなんも思い残すことはないー。

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