3.16.2023

[film] Et la lumière fut (1989)

3月7日、火曜日の晩、ヒューマントラストシネマ有楽町のイオセリアーニ特集で見ました。
邦題は『そして光ありき』、英語題は”And Then There Was Light”。(トラックは出てくるけどダブルデッカーバスではなくて、that never goes out.. にはならず)

ヴェネツィア国際映画祭で特別審査員賞を受賞している。フランス・ドイツ・イタリアの共同制作。

舞台はセネガルらしいのだが、アフリカの奥のほう、冒頭、大きな木をめりめり切り倒していて、車に乗り込んだ伐採業者が雑誌の束を捨てていく。そこからしばらくすると、ジャングルの奥のほうで、首のない身体が転がっていて、お祈りをしながら傍らに転がっていた首をくっつけてその繋ぎ目をなでなでするとあーらびっくり、生き返りましたー、って。切り倒された木は倒れてしまうが、人の首はくっつければ立ちあがるのよ - ほら、とか。

画面上に出てくるのはディオラ族、実際に存在する方々らしいのだが勿論画面上にそれは明記されないし、どんな文化を持った人たちなのかも説明されないし、彼らに「ディオラ族のひと!」って呼びかけることもないし自分達で名乗ることもない。 彼らが言いあう言葉は翻訳されずにそのやりとりの大凡が(たまに)サイレント映画のように別字幕で表示される(言葉によるやりとりはそんな重要ではなさそうなかんじ)。言葉の扱いがそんななので彼らに無理に演技をさせていることもなさそう。

最初は牧歌的な彼らの生活 - 女性が弓で狩りをして、ワニに乗って移動して、男性は洗濯をしたりごろごろ寝てばかりだったり、それに愛想をつかして出ていく女性(と子供たち)がいたり、でも旦那は変わらずごろ助だったり、風とか雨を操る祈祷師の女性がいたり、これらの村の日々の風景が、それがなにか? のような平熱の距離感で描かれて、それがどうした、なのだが、そこにだんだんに冒頭の雑誌が回覧されていったりとか、伐採する車が入り込んできて樹が切られていくと洪水が起こってここはもう住めないから移住するか、になって、そうやって集団で移動していくと前に出て行った女性が着飾ってなにさあんた、だったりー。

森林破壊とか文明化に対する批判とか、固有文化の世俗化や忘却に対する批判とか懸念とか、あるいはその逆でそれらを受け容れたり促したり、そういうトーンはあまり感じられなくて、人々は自分達の行きたい方に寄っていくのだし歩いていくのだし、それを止められるものではない、ので好きに勝手にすればー、となるとこれはいつものイオセリアーニだねえ、としか言いようがない。

切り離された首がくっついたところで、これはアピチャッポン・ウィーラセタクンみたいな、制御しようのない不穏で変てこな異界のあれこれが勝手に憑りついたり映りこんでしまうあれなのか、とか、歩いていくとなにかにぶつかってずるずるくっついたり離れたりの玉突きや粘着が起こるのはホン・サンスなのか、とか思うのだったが、そんなアジア的な湿度とか偏在する人肌のかんじはない気がして、やはり人と人はヨーロッパ的に衝突して気に入ればそっちにいくし、気に入らなければぶん殴ったりスキップしてさようならだったりの、ケセラセラの世界で、しかもおまけにキリスト教ぽく『そして光ありき』なんて言ってしまう。アジアだと「とにかく光はずっとあるで(知らんけど)」になるのか。

3月9日には短編集から”Euzkadi été 1982” (1983) -『エウスカディ、1982年夏』なども見ているのだが、バスクの人々やその歌や牛などを扱うその目線とセネガルの人たちに対するそれ – 自分にとっての異文化に対する(異なるものをそれと認知する)目線 – って同じような距離があるのを感じた。よくわかんないのでとりあえずカメラを回しておくとか、その程度のもの – よくもわるくもてきとー な触れない距離感があるのと、それをもたらしたのは彼にとってのジョージアがそんなふうな手の届かないところにあった、という哀しみの裏側、なのではないか。

あとは、女性たち、女性たちだけが、そのスタイルも含めてすばらしくかっこよい。

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