6.05.2022

[film] Tromperie (2021)

5月26日、木曜日の午後、MUBIで見ました。 英語題は”Deception”。

原作はPhilip Rothの”Deception” (1990) - 『いつわり』(未読)。この小説の主人公は”Philip Roth”という名のユダヤ系アメリカ人小説家なので、原作を読んでいないと - なのかもだが監督と共同脚本がArnaud Desplechin(脚本のもうひとりはJulie Peyr)なので見てみよう、と。 2021年のカンヌに出品されている。

タイトルバックにはやや古びた写真で左にNYのツインタワー、右にロンドンのタワーブリッジが並べられて”1987 London”、とでる。

それが真ん中から開いて広い楽屋のようなスペースに女性(Léa Seydoux)がひとり、カメラの方を向いてイギリス人、33歳、名前はいわない4歳の娘がいてPhilipには1.5年前にあった、とフランス語で自己紹介する。

続いて今度は舞台のようなところでPhilip Roth (Denis Podalydès)と女性がふたり向かいあって、女性が彼の仕事場のイメージ - カーテンのない窓、そこから見える庭の緑、机の上に散らばるメモや書類、タイプライター、本棚の本をナレーションで - ハイネ、アーレント『パーリアとしてのユダヤ人』(でも本棚に見えるのは『全体主義の起源』だよ)など、ユダヤ人によるユダヤ人の本ばかり、そこがふたりの逢瀬の場で、この物語の中心となる。

こういうメタフィクションを狙った(と思われる)室内劇のなかで、ふたりの関係以外にもアメリカにいて癌を治療中の友人 (Emmanuelle Devos)、若い頃の1968年のプラハの春で出会ったチェコの女性、そこの映画監督とのいざこざ、女性との関係を綴ったメモを妻に発見されてじたばた、などがランダムに置かれていって、最後はそれらを総括しているであろう”Deception”という本の出版イベントをするホテルのロビーで終わる。本当にあったことなのか創作なのか、どのエピソードもそんなのどうでもよい程度に無理のない生々しさで撮られている。

ユダヤ系移民としてのアイデンティティを背負って育ったアメリカ人がヨーロッパ - チェコから英国に渡り、反ユダヤの土壌(ヨーロッパ)で生まれ育った英国人の女性と関係を持ち、彼女とのピロートークや対話を通してこれまでの自分の経歴や過去の人間関係や著作を振り返って反省したり - あまりしてない - 正当化したり盛ったり、そういう身振りを通して自身の(アメリカ人としての?)ありようを総括する - そんでそこに”Deception”ていうでっかい貼り紙をしてみる。それが「いつわり」なのだとしたら誰にとっての? なんのための?

Philip Rothが”Philip Roth”を主人公とする小説でやろうとしたのはこういうこと - ”Deception”ラベルに対する真偽判定とか態度決定のような - で、それを通して主に男女関係の普遍性とか特異性とかのだんだら模様を晒してみることだったのかな、と思いつつ、これをこの映画にはめてみるとやっぱり相当無理がある気がして、とにかく真ん中に配されたふたりがずっとフランス語とそれをフェンシングの剣のように操るフランス人のやりとりのアクションで押していくところとか。もちろん、どんな芝居だってこのような別言語での表現はできるわけだが、この原作が描きだそうとした関係のありようとか主人公たちのアイデンティティにおいて、彼らがアメリカ人(or イギリス人)であることって結構重要な要素だと思うのだが、どうかしら? 

少し譲って、例えば贖罪とか救済とか、これまでのArnaud Desplechinの作品が扱ってきたようなテーマに寄ったりフォーカスしたり、あるいはうんと譲って、”Comment je me suis disputé... (ma vie sexuelle)” (1996) - 『そして僕は恋をする』の前半部分 - Dedalusが亡くなるまでのところをやろうとしているのか、って見ようとしても、なんかやはり違う.. ずれている気がする。今作において最初からずうっと強気でべらべらまくしたてては女性と交わってばかりの”Philip Roth” = Denis Podalydèsの態度の強弱ってちっともそんな情とか思い入れを許すものにはなっていないような。

そう、ちっともここの”Philip Roth”にはちっとも思い入れすることができず、なんかうざいじじいだなあ、しか出てこなくて、それを寄せるのに例えば「アメリカ人」「ユダヤ人」のような人種を持ちだすのも違う気がして、けっか、ただただうざいだけになってしまっていて、それでその結果、まんなかのふたり - Denis Podalydès & Léa Seydoux - 既婚の彼と彼女が出会ってセックスをしていろんなことを語って - も、単にやりたくてやってるだけなんじゃないのか? - べつにそれでもいいんだけど、それだけではない何かを見せようとしてこの舞台は置かれたはずなのに、それが見えてこないもどかしさがー。

音楽ではひとつだけ、部屋にいるところでThe Railway Childrenの”Another Town” (1987)が聴こえてくるので、ううーってなって、彼の選曲かはわからないけど、こういうところが憎めないのよね。


わたしはあのおばあさんが好きなのでPlatinum Jubileeはお祝いしたくて、通販でビスケットとかTea Towelとか買ったり、週末はあたまの中でずっと旗をふったり架空のコーギーを撫でたりしていた。前回のJubileeの週末は出張でロンドンにいたんだよなー、10年かあー…

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。