6.25.2022

[film] 春の夜の出来事 (1955)

6月19日、日曜日の昼、シネマヴェーラの特集『才気と洒脱 中平康の世界』で見ました。
監督は西川克巳で、尾崎浩の原案を河夢吉(だれ?)と中平康が共同で脚本を。

大企業の大内産業の社長大内郷太郎(若原雅夫)は出先では執事吉岡(伊藤雄之助)とお付きの車がびっちり大名行列をなして、家のなかでは女中頭のまつ(東山千栄子)がぜんぶ仕切っていて、あとは18歳の娘百合子(芦川いづみ)がいる。郷太郎は道楽で自分の系列の製菓会社の懸賞に匿名で応募したら二等に当選して賞品の赤倉のグランドホテルへ招待されて、よい機会なので身分を隠して旅行してみたい、ってお付きを断るのだが、心配性の吉岡がついてきたので、それならわしの気分になってみろ、って彼を社長ってことにしてしまう。

懸賞で一等を獲ったのがいろんな懸賞に当たりまくっているのに自分の就職だけはずっと振られ続けている二宮真一(三島耕)で、母子家庭のよいこなので母ふさ江(夏川静江)のことを気遣って、母も荷造りをこまこまやって旅に出て、ホテルに着いてみると、ホテル側は百合子からの匿名の電話でお忍びでやってくるという大金持ちにびびって大内と二宮を取り違え、二宮をものすごく豪華な部屋に通して大内は粗末な座敷牢のようなところに閉じこめてしまう。事前に大内の好みを聞いていたホテル側はサンマとかオウムとかキャンティとかを用意していて、サンマが好物、は二宮も同じだったりするからややこしい。(でもクリスマスの頃のサンマ?)

こうしてびっくり破格の待遇に加えて噂を聞いていろんな方角から言い寄ってくる御夫人(宮城千賀子)や恋人(岡田真澄)連れのマリ子(東谷暎子)にあたふたする二宮と、社長らしく振る舞わないと社長に怒られるので死にそうになる吉岡と下層民として蔑まれるMの快楽に目覚めてしまったかのような大内 - これまでと全く異なる椅子に座って(座らされ)冠を被った(被らされた)トリオがクリスマスの仮装の宴に向かって橇で遊んだり雪だるまを作ったりしているうちに仲良くなっていって、そこに父を心配してやってきた百合子とまつが加わり、二宮と百合子も互いに意識するようになって.. (でもあのふたり、互いの素性をいっさい知らないままなのに)

あとはニセ黛敏郎(黛敏郎)がいて変てこな音楽 - 変なのでニセって言われる - を披露したり、大内は下働きのお爺さん(左卜全)と仲良くなったり。 階段の手すりの飾りとか、タバコケースのオルゴールとか細かいところもいろいろ考えられている。

冬の雪山の出来事なのになんで「春の夜の..」なのかというとキャプラの『或る夜の出来事』(1934)にひっかけようとしたものらしく、でもキャプラの映画にあるような一連の出来事や会話が互いの懐を探りながらびっくりの化学反応を引き起こして戸惑いながらも終盤に押し寄せてきて納得させられるあの感覚は来ないかも - せいぜい男たちみんなが目を合わせてうむ、ってにっこりするくらいで。 どちらかと言えば安泰のラストを想像しやすい水戸黄門みたいなかんじかしら。

ラストで登場人物が素で現れて、すべてが明らかになるところはきらきらして説明の言葉はなくて、だれもずっこけず、怒ったりもしないのでおとぎ話だねえ、って。懸賞からの芋づるで就職と彼女と将来のあれこれぜんぶを手に入れることができそうな二宮はラッキーすぎないか。

戦後の復興に向かって富や権力や性役割のありようなど、みんなが意識や思いをひとつにしようとして誰もがそれを疑わずに連なって輪になろうとしていた良くも悪くも幸福な時代だから成立したコメディで、今はその枠だけ - 会社の偉いじじいはぜったい偉く、お金持ちはなったもん勝ち、女性は彼らを傍で支える - が無思考のままに残されているので見る人によってはSFか時代劇のように見えてしまって笑えないかも。


アメリカ、無念と恐怖しかないが、ほんとに2016年の大統領選挙がああでなかったら、っていまだに思う。だから選挙は行かないとこうなるんだ、って。 これよりひどいことがこの国にもくるからぜったい。

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