6.21.2022

[film] Oslo, 31. august (2011)

6月15日、水曜日の晩、MUBIで見ました。
Joachim Trierによる「オスロ三部作」のふたつめ - ”Reprise” (2006) から始まり”The Worst Person in the World” (2021)へと至るまんなかの。最初のを見ていないので三部作としてのありようについて書くのはまだやらない。

『鬼火』っぽいかも、って見ていたら最後にドリュ=ラ=ロシェルの『ゆらめく炎』(1931) - つまりはルイ・マルの『鬼火』(1963)を緩めにベースにした、と出ておお、って。これをJoachim Trierと彼とずっと一緒に書いているEskil Vogtが脚色している。(このふたりって、“Louder Than Bombs” (2015)を作っているのかー)
2011年のカンヌのある視点部門で上映されていて、日本では「トーキョーノーザンライツフェスティバル2015」で公開されたのみ?

冒頭、古い色味のフィルムで昔のオスロの街、がらんとしてだれもいない街の景色とかでっかいビルが爆破されるところとか、主人公にとってのオスロの原風景のようなもの、がナレーションと共に映しだされる。そんなに暖かく懐かしいものでも、ひどく殺風景なものでもなさそう。

窓の向こうはただの道路、ホテルのような施設でAnders (Anders Danielsen Lie)が目覚めて、ベッドには誰かが寝ていたような影があり、湖の畔に立ってコートのポケットに水を満たして自殺しようとするのだができなくて、そのままリハビリ施設の集会に出て、でも自殺のことには触れずに回復しているような印象を持たせて - そんな印象持てないけど - 面接もあるので1日の外出許可をもらって外にでる - これが8月30日。

そうやって旧友の家族 – 夫とも妻とも知っていて子供たちもいて幸せそう – と再会して歳をとっていろいろしんどい、みたいな会話をして - でもその悩みはAndersのそれとはぜんぜん違うやつで、それからレジメを送っていた編集者と採用の件で面接をして – よいかんじだったのに経歴のブランクの箇所を訊かれてドラッグ依存症の治療をしていたから、って返して話しはなくなって - ここまでの会話 - アドルノやプルーストの名前がでてくる - で、彼が十分に思慮深いひとである(あった)ことはわかるのだが、いまはこんなふうに誰かと会うたびにその先の展開を自分から潰して、というかそうするために誰かと目を合わせて向かっていって、自分のなかのチェックシートを塗りつぶしているかのよう。

そしてそのノリのまま会おうとした妹からは避けられて - 替わりに彼女の恋人が現れて会いにこないでほしいと言われて売却予定の実家の鍵を貰い - さらに一番会いたいかつての恋人Iselinは何度電話をかけても出てくれない。そのままどうでもいい知り合いの誰かのパーティに出て、飲んではいけないお酒を飲み、隣り合っただれかとキスをして、コートをあさってお金を抜いてドラッグディーラーのところに行って薬を買ってー。

再びどこかのバーに流れてIselinが浮気していた男と会って、さっきのパーティにいた連中に合流して夏の終わりのプールサイドにたどり着く8月31日。酔っ払ったみんなはプールに入っていって抱きあったりしていて、Andersはその様子を眺めている。

途中からAndersは死のうとしている、というのはわかって、でもそれは死を選ぶというより生きることを止める、もうこの先はない、ということをひとつひとつ確信していくような動きとして現れて、そうやってなじみのオスロの街を歩き、自分もかつてはその一部としてあったパーティの人々を眺め、彼らにくっついて夜の時間を抜けてみれば8月31日 - 夏の最後の一日だったという、ただそれだけの場所と時間の交点のはなし。そこで電球が消えるかのようにすうっと彼は消える。それだけで、そこには暗さも明るさも、なにかが弾けとぶような瞬間もない。 という流れの納得できるかんじときたら。

退屈でつまんないパーティで決定的ななにかが起こる、そこで世界が止まるような時間の訪れとともに、世界がひっくり返る(ように見える) - という出来事は”The Worst Person in the World”のなかにも出てきて、さらにこの映画でのAnders Danielsen Lieの役どころも併せてみると、いろいろおもしろいと思ったのだが、三部作の最初のを見てから改めて。

ムンクが描こうとした時間、ていうのもこういうのだったかも、と確かめたいのだが山が。
『鬼火』も久々に見返したくなった。

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