6.02.2022

[film] Made in Bangladesh (2019)

5月24日、火曜日の午後、岩波ホールで見ました。

岩波ホールでの最後から2番目の上映作品、最後のブルース・チャトウィンのは、英国で見ているのでこれがお別れの1本かも。アクセスもよくないし音もわるいし、商売として成り立たないのかもしれないが、岩波文庫がなくなるくらいよくないことのような気がする。

ベンガル語の原題は”Shimu” - 主人公の女性の名前、邦題は『メイド・イン・バングラデシュ』。
監督はこれが3作目となるRubaiyat Hossain、すばらしいカメラはManoel de Oliveiraの『ブロンド少女は過激に美しく』(2009)とか『アンジェリカの微笑み』(2010) - どちらも大好き - を撮ってきたSabine Lancelin。

冒頭、いろんな布があふれてミシンががたがた動いている衣料品工場で火事が出て、みんなで避難するのだが同僚が亡くなって、それでもそういうことが起きた職場環境が改善される様子はなく、工場の幹部らしい男たちはお悔やみのひとつもなく変わらず横柄なので、働いている23歳のShimu (Rikita Nandini Shimu)はこれはおかしいだろ、ってなる。

こんなふうに工場の環境は酷いし、火事で工場が稼働していなかった時の給料も未払いのままだったり、文句を言っても聞いて貰えるどころかクビにされたり上の男たちがやりたい放題で女性はずっと奴隷状態なので、ざけんな、ってなっているとNasima (Shahana Goswami)という女性が声をかけてきて、彼女のオフィスに行ってみると話を聞いてくれて、この場合は組合を作るべきだ、と言われる。当然の権利だ、職場で署名を集めて役所に提出すればいいから、って。

Nasimaとの会話で、Shimuは13くらいの時に親が勝手に決めた40過ぎの男と結婚させられそうになったので家出して町に出てきたことがわかり、でも今結婚しているShimuの旦那は無職のまま家でごろごろしていたりする。

こうして国の労働法を勉強したりしながら仲間に呼びかけて署名を集めていくと当然妨害が入って、それは職場の幹部たちばかりではなくて、同僚の女性たちからも、夫からも - 自分が働きに出るからそんなことやめろ - とか言われ続ける。同僚は休日は休みたいし運動みたいのに関わると家族も嫌がるし結婚も転職もできなくなる(と脅される)し、とか、夫は他の男から甲斐性なしって言われるのを恐れているらしい – これこそが構造的なんとか、っていうやつだわ、格差も昔からの偏見も差別も蔑視も、ぜんぶのレイヤーで四方八方からがんじがらめに縛りにきて抜けなくなる - じっとしてるに尽きるとかいうやつ。さらに国策とか宗教とか歴史までが乗っかってくる。

最後、署名を出しても最後の手続きに許可がおりない役所に向かおうとするShimuに夫は外から鍵をかけて、それを突破して仲間たちと役所に向かい、団交はだめというのでひとりで偉い人の部屋に乗りこんで立ち向かう、それでもその役人は首を縦には振らなくて.. (なんでや?)  

この話は10代からバングラデシュの労働闘争に関わってきたDaliya Akter Doliさん -大阪の映画祭に来てトークしたりしていたのね - の実話をもとにしていて、ShimuがNasimaに話す身の上話はほぼ彼女のものでもあるって。

みんながありがたいって手に取るファストファッションの裏事情なんて、だいたいこんなものなんだろうな、ってみんなが納得するし、薄々わかっていたし、でもどうしようもなくやめられなくて、ようやくビジネスと人権とかサプライチェーンマネジメントとかサステナビリティとか言われだしてきたけど、これにしたってみんながそうするし、そうしないと今後の(人権じゃなく、まず)ビジネスが.. ってそういう話でしかない。そしてこれはバングラデシュだけの話ではなくて、労働環境と貧困、というところで自分たちの身の回りで生々しく出てきている気がするし。

これってSDGsをみごとに都合よく曲解している”Made in Japan”においても全く同様で、50年前の製品とサービスのクオリティ神話にとらわれたまま & お金払ってんだ奉仕しろや、の薄汚れた老人たちが、自分達の見栄やムラでの地位を満足させるために社会的弱者を寄ってたかって虐待して搾取する - 根は違うけど構造はまったくおなじ。日本のが衰退に向かっている自覚がない分、やばいと思う。

クローズアップでShimuの表情や怒りを捕えるシーンはそんなになくて、常に彼女がいる部屋とか路上、誰かといる光景のなかのやりとりとして示される。路上をうろつく野良犬とか野良鶏、役人の雑然とした部屋に射しこむ光、そこに交わってくる商品たちのカラフルな色、などと一緒に。ここからやるんだ、って。 

こうして最初はヒジャブを被っている彼女の髪はだんだんほぐれていって、夫との喧嘩でそれを脱ぎ捨てていくところもよくて、それで最後の、ほんの数ミリの微かなにんまり、に、我々もにんまりする。これからだよ、って。

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