6.19.2022

[film] Ballada o soldate (1959)

6月12日、日曜日の昼、シネマヴェーラのウクライナ映画特集でみました。
邦題は『誓いの休暇』、英語題は”Ballad of a Soldier”。監督のGrigory Chukhrayが『女狙撃兵マリュートカ』(1956)の次に撮った作品で、1960年のカンヌをはじめいろんな賞を貰っていて、「宮崎駿監督もお気に入り」とチラシにはあった。

冒頭、「母」と思われる女性がひとり、村の外れに立ってずっと遠くに続く一本道の向こうを見つめたまま動かなくて、この道を通って出ていってこの道を通って戻ってくるはずだった彼女の息子は帰ってこなかった、というナレーションが入る。

19歳で従軍している通信兵のAlyosha (Vladimir Ivashov)は前線で組んでいた狙撃兵が目の前でやられてしまった後、死にそうになりながら傍にあったライフル砲でドイツ軍の戦車を撃ったら2台に命中して撃破して、軍の上に呼ばれて誉められたので調子にのって、母のところに帰りたいですきちんとお別れ言えなかったし屋根の修理もしなきゃいけないし、と言うと偉い人はじゃあ行きで2日、現地で2日、帰りで2日の計6日間の休暇をやろう、っていうの。

こうして郷里に向かおうと駅に走っていく車が水溜まりで動けなくなったところを助けてもらった兵士Pavlovから途中の町で自分を待つ妻に石鹸2個を渡してくれ、って頼まれたり、駅では片脚を失った兵士の荷物を持ってあげたら、妻のところに戻ろうとしているけど彼女はもうこんな自分には、って沈んでいるので気になって列車を乗り過ごしたり - 彼女は迎えに来てくれててよかった - 遅れを取り戻すべく軍用列車の貨物室に肉缶の賄賂を渡して乗せてもらって、そしたらその貨車こっそり乗りこんできた女性Shura (Zhanna Prokhorenko) - 彼女は怪我をして入院している婚約者のところに行きたい - が怖がってぶつかってくるのに少しづつ打ち解けていって、でも停車時に水を汲みに行って戦況を聞いていたらまた列車に行かれちゃって、通りかかったおばちゃんのボロ車で次の駅に向かったら列車はとっくに発っていて、でもShuraはそこで待っていてくれたので抱きあって、そこからふたりで頼まれていたPavlovの石鹸を届けにいったら奧さんは別の男と一緒にいたので頭きて石鹸を病気で伏せっていたPavlovの父に渡したり、ようやく実家が近くなってきたと思ったら列車めがけて爆撃が…

こんなふうに思いついたように実家に帰りたい、ってお願いしたことから始まって、きょろきょろ周りの人たちの面倒をみたり気にかけたりしているうちに本来の用事や目的がどんどん後ろに倒れて遠くなってどうしよう… になっていく真面目な19歳Alyoshaの危なっかしい道行きを描いて、でも原因は彼の方だけじゃなくて、誰もが「ほんとうのこと」を言わないし、誰もがそれを信じていなかったりすることなの。片脚の兵士だってPavlovの妻だってShuraだってラジオから流れてくる戦況だって、そしてAlyoshaだって嘘をつくし。

戦争そのものがそういうみんな(国も軍も家族も個も)ではったりの大ウソの言いがかりをぶちまけて騙しあって殺し合うどうしようもないやつだって、『女狙撃兵マリュートカ』だってそうだったし、誰もが無事に、勝って戻ってくるとか言って戦地に行くのにそうなることなんてないし、ひどいったらないの。本人は死んじゃってばいばい、かもだけど残された、去られた側の後のことを考えてみてほしい。何千回言ったら気が済むのか、死ななきゃわかんないのか、などなど。

もちろんそういうのって、細かく切っていけば日々の暮らしや仕事の中にいくらでもあることなのだろうけど、でも日々のそれらの方で人はそんなに簡単に明白には死なない。誰もが横並びで死へと向かう可能性のある大きな渦のなかでこれが起こるのが戦争で、だから許されないの。昔のヒトラーがやったこともいまのプーチンがやっていることも、プロパガンダっていう名の大ウソ大会だからね。

映画だから、かもだけど反発しながら出会って時間の経過と共に恋におちていく真ん中のふたりが典型的な美男美女のそれなのって - 『女狙撃兵マリュートカ』もそうだけど - どうしたもんか、って少し思った。そうすることでおとぎ話みたいになってしまわないか、って。映画だからとか、アニメとかだったらそれでよいの?

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