3.01.2022

[film] Petite Maman (2021)

2月20日、日曜日の夕方、MUBIで見ました。

Céline Sciammaが『燃ゆる女の肖像』(2019)に続けて書いて監督した新作で、昨年のベルリン国際映画祭で上映された。   “Tomboy” (2011)や彼女が脚本を書いた“Ma vie de Courgette” (2016) - 『ぼくの名前はズッキーニ』に連なりそうな子供たちのお話。72分とちょっと短いけどすばらしい。大好き。

8歳のNelly (Joséphine Sanz)が大好きだった祖母(Margo Abascal)が施設で亡くなって、ママ(Nina Meurisse)と車で、祖母が暮らしていたママの生家に整理片付けのために帰ってくる。ママは少し沈んでいるようだがNellyが後ろの座席からお菓子をだしてくれるともぐもぐしたりしている。

でも昔の家に入るとやっぱりママはいろいろ思い出して辛くなってしまったようで、Nellyはいつものように一人で遊ぶことになって家の外にでて、野原を進んでいくと、木の枝と草花を積みあげて砦をつくっている女の子と出会う。それを手伝ってあげたり遊んでいると彼女はMarion (Gabrielle Sanz)と名乗って、彼女の家に連れていって貰うとMarionのママも具合悪そうに臥せっていて、Marionも同じ病気でもうじき手術を受けるんだ、という。

そうやって彼女と遊んでいるうちにNellyはMarionに驚くべきことを告げる。あなたはわたしのママなんだよ、って。見ているこちらは混乱して、そんなことがありうるのか、と画面の向こうに引きずりこまれてしまうのだが、確かに名前も同じだし病歴も手術のタイミングも同じようだし祖母も彼女たちの家も同じようなふうに見えるし、何よりもNellyが揺るぎないしMarionも否定しない - 否定できそうな要素はないし否定してどうというものでもないし、そう言われたあとでもふたりの関係は変わることなく一緒にパンケーキを作ったり楽しそうに過ごしている。Shrove Tuesday(今年は3月1日)はパンケーキの日。

これって単なるNellyの妄想なのか、亡くなった祖母がみんなの痛みを和らげるためにもたらしたなにかなのか、そこにママの想いが重なったのか、妖精とか土霊みたいなのが悪戯しているのか、どうとでも言うことはできそうだし、もちろん答えなんてあったり出たりするわけもないのだが、見つめあって肩を組んでいるふたりの少女の間に確信的なふたりだけの何かがありそうな – それが揺るぎないものであることは伝わってくる。悲しまないで、辛くならないで、傍にいるんだからだいじょうぶだから。

あとはパパ(Stéphane Varupenne)がNellyの前で伸ばし放題になっていた髭を剃るシーンの素敵なこと。髭が伸びていたパパはあまり好きではなかったけど、剃ったらやっぱり好きになったとか。パパはパパだったんだね、っていうあたり。

自分と同じくらいの歳の親と出会うお話 - これをうんとアメリカ的にあざとく盛ったのが例えば”Back to the Future” (1985)で、ここでは息子がやがて自分の父親になる青年に対して将来の自分のために焚きつけて利用しようとする - とても男の子っぽい。でも”Petite Maman”は運命や時間がどう、という話ではなくて、悲しんでいる人、怯えている人がいたらそばにいるなら、そこにいて一緒に遊ぼうよ、ってそうしてNellyが森で小さなママに出会うお話なの。(他にも同じようなのどこかにあった、とずっと掘っているのだがなんだっけ..)

Céline Sciammaが敬愛する宮崎アニメだと、トトロの世界に近いのかも、と思ったりもした。となりにああいうのたちがいたのって、夢でも思い込みでもなくてただいてくれて、一緒に遊んで楽しかったんだよ、っていう世界はあって、ああいうのを無視したり否定したりごまかしたりする世界には暮らしたくない。

わかって - 受けいれてほしい - 受けいれてあげよう、っていう子供たちの話というより、だいじょうぶだから、って手を繋いであげる、それだけの。でもそれがどんなに素敵で、いつまでも残っていることか。

ラストはほんとにじーんとして、泣いてしまうから。

あのふたりはやっぱり実の双子姉妹なのね。

彼女の映画音楽をずっと手がけているPara One (Jean-Baptiste de Laubier)による音がまたよくてねえ。


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