3.10.2022

[film] Madres paralelas (2021)

3月2日、水曜日の晩、米国のYouTubeで見ました。
Pedro Almodóvarの“Pain and Glory” (2019) ~ 短編の”The Human Voice” (2020)に続く作品。英語題は”Parallel Mothers”。

冒頭、ファッション写真家のJanis (Penélope Cruz)が著名な法医学考古学者Arturo(Israel Elejalde)のポートレートを撮影してだんだん仲良くなっていって、JanisはArturoに彼女の曽祖父や村の男たちがスペイン内戦中に殺されて集団で埋葬されているはずの村の無名墓地を、彼の財団が発掘調査してくれないかと頼む。そうやって一緒に過ごしているうちにJanisはArturoの子を妊娠して、Arturoには病気の妻がいるので今は結婚できないと言われたのでJanisはひとりで産むことにする。

Janisは産院の同じ部屋で17歳のAna (Milena Smit)と出会い、彼女もひとりで産むつもりで来ていて、ふたりは同じ日にどちらも女の子を産んで、どちらの子も暫くのあいだ新生児室に入れられるのだが、どちらも無事退院してこれからも連絡を取っていくことにする。

そしてJanisが彼女の娘CeciliaをArturoに見せると、彼はこの子は(肌の色などから)自分の娘ではないのではないか、と言うのでそんなわけない、と返すのだが念のためWebでDNA検査キットを取り寄せてやってみるとJanisはCeciliaの生物学的な母ではない、という結果がでたので、がーん、となる。

しばらくしてカフェでバイトしていたAnaと再会したJanisが彼女に娘は元気? と尋ねると亡くなった(突然死).. と言われてまたショックを受けるのだが、Anaの心身の方も心配だったのでうちに住み込みの家政婦として来ない? と申し出るとAnaは喜んでやってきて、ふたりは親密な関係になったりして、そのうちJanisはこっそりAnaの唾液をとってCeciliaのとDNAテストをやってみると – やっぱりCeciliaの生物学的な母はAnaだった..

それをAnaに告げると彼女は驚きつつも突然態度が変わって、Ceciliaを連れて家を出ていってしまうの。

緻密に震えて瞬く弦を中心としたAlberto Iglesiasの(いつもながら)すばらしい音楽がところどころでサスペンスフルな雰囲気を盛りあげてくれるものの、驚愕の事態や事実が起こったり明らかになったり死体が転がったりすることはなくて、病院での新生児の取り違えもAnaの子の事故も起こりうることなのでそうなんだろうな、くらい。 驚くべきことは冒頭のスペイン内戦の時代と現代の女性たちをあっさり繋いで、ずっと生きて子供たちを育ててきた女性たちの物語として、その複数の線が「連帯」なんて言葉を使わなくても目の前に据えてダイナミックに迫ってくることだろうか。

それは子を産む「母」のことだけでなく、例えばAnaの母のTeresa (Aitana Sánchez-Gijón)は女優になる夢を捨てきれずにAnaの出産のときにも自分のキャリアを優先してしまうのだし、Janisの危機になると現れて傍にいてくれるカラフルなElena (Rossy de Palma – 常連)とか、いろんな女たちがいてそれぞれの見えない手をとったり繋いだりしている。どこまでも交錯しない(パラレルな)線は折り重なってそのまま帯となり墓場からゆりかごまでいろんな生を支えてきているのだ。知らないとは言わせない。

っていうのが最後の方で開始される村の発掘調査 - そこで掘りだされて重ねられる滑稽なくらい大量の男たちの骨々との対比で明らかになる。内戦下で突然消えてしまった男たちの「悲劇」の反対側には現在進行形の、ずっと続いてきてこれからも続いていく女たちの生があるのだこれをみろ、っていう映画。

脊椎の痛み(pain)や過去の哀しみと向かい合って控えめにGloryへと歩みを進めようとした前作と同じように、だれにでも(母)親がいて過去があって自分の肉がある、そこにぜったいに横たわって刺さって抜けない痛みからどうやって歩いたり旅だったりすることができるのか、って。 これは“The Human Voice”のラストのTildaさんのかっこよい出立にも繋がっている気がする。

いつものように「ミューズ」としてセンターで踏ん張るPenélope Cruzがすばらしいことは言うまでもないのだが、今回の彼女の輪郭はほんとうにやさしくて美しい。でも虐殺された男たちと生き延びなければならなかった女たちの話はアジアにもアフリカにもあった。これらの地域のことは(例えば)Penélopeなしでどんなふうに描かれてきただろうか、って少しだけ。 日本だと「母」のありようはバカで幼稚な男共が「おかん」とか言って茶化すのばかりが目に付いて、この傾向、ほんとうに嫌なのでなんとかしてほしい(だからとっとと公開して)。

あと、インテリアとかファッションとか、それらのカラーとか、食べ物とかが相変わらずすばらしい。このセンスをこのテーマに思いっきりぶつけて破片を飛び散らせてしらーっとしているところがまたかっこいいのよね。

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