3.18.2022

[film] 細雪 (1950)

3月8日、火曜日の晩、神保町シアターの特集『「細雪」と映画の中の姉妹たち』で見ました。
この特集(いつものように)全部見たいのだが、他のところのあれこれも見たいのいっぱいなので苦しくて、せめて細雪3本だけでもー。

谷崎潤一郎の同名原作 (1936 – 昭和11年)を監督は阿部豊、脚本は八住利雄、音楽は早坂文雄、などで新東宝が映画化。 145分。

1937年の大阪、上本町の旧家 - 蒔岡家の四姉妹が名字は継ぎながらもばらばらになって、お家としてゆっくり滅びていく - けどなんとかなるやろ - なさまを描く。

四姉妹は上から鶴子(花井蘭子)、幸子(轟夕起子)、雪子 - 「きあんちゃん」(山根壽子)、妙子- 「こいさん」(高峰秀子)で、鶴子が夫の仕事で東京に越してから、芦屋の雪子と婿養子の貞之助(河津清三郎)の家に入り浸るきあんちゃんとこいさんのあんなことやこんなこと。

上のふたりは婿さんを貰って安泰(という扱い)なのだが、下のふたりは未婚で、お金持ちの啓ぼん(田中春男)と駆け落ち騒動を起こして新聞沙汰になってから落ち着かないこいさんとそのとばっちりをくらってお見合いしてもなかなか決まらないきあんちゃんの結婚相手探しが中心。

こいさんはよい家に嫁入りするより自分で仕事を持たなきゃと人形制作から洋裁まであれこれ手を出して、そのくせその資金を啓ぼんに出して貰っていて、その感覚っていいの? と言われながらもいいのよ、になっていて、阪神大水害をきっかけに、啓ぼんのところにいた写真家の板倉(田崎潤)と距離を縮めて結婚するんだ、ってなったところで板倉が死んじゃってやけっぱちの彼女は啓ぼんを食いものの生殺しにしながらバーテンダーと付きあって妊娠までして。

他方で婚礼の着物を父親に遺してもらったり、それなりの格の家と結婚して当然、と周囲の期待も大きいきあんちゃんは、目的化された「結婚」なんてどうでもよくなっているくせにこいさんと板倉の一途な結婚になると家が.. とかいう。

上のふたりのこいさんに対する、きあんちゃんに対する態度も目線もまずはふたりとも蒔岡の家のことさえ考えてくれれば丸く収まってくれるはずなのにおかしいわ(ってあの口調で)、というものでそこには悪気もなんもないのだが、そのお家の外観も内部もシロアリに喰われてぼろぼろで耳の聞こえない爺やが維持している、というほぼホラーみたいな。

なにかと言えば本家の縛り目線に疲れている長女、名前なんて、と言いながらもお金や外面はだいじ、と貴族になりきっている次女、上から言われることと現実の段差にすべてがどうでもよくなっている三女、失うものなんてねえから好きにやるぞ、の四女が手を取り合うのでもなくいがみ合うのでもなく「蒔岡家」の看板に向きあって、どーにもならんわ、ってやっていくその様を描いてどこにも落着させない原作の意地の悪さは和らいで、姉妹でがんばっていれば明日はきっと、な? というとってもにっぽんなお話にはなっているかも。

上映素材はデジタルだったが、画面構成とか衣装とかとてもきちんと作ってあるので、もうちょっとちゃんとレストアすればよいのに。

あと、男優たちはみんなよいのだが、ところどころ大政だったり法印大五郎だったり桶屋の鬼吉だったりするので、つい次郎長親分を探してしまうのはよくなかった。


細雪 (1959)

3月12日、土曜日の夕方に見ました。カラーになって画面が横に伸びた。 105分。

監督は島耕二、脚本は50年版と同じ八住利雄、音楽は大森盛太郎で、大映のアグファカラー(好き)。
姉妹のキャストは鶴子(轟夕起子 - 50年版では次女だった) - 幸子(京マチ子) - 雪子(山本富士子) - 妙子(叶順子)。男性は啓ぼんが川崎敬三、板倉が根上淳、啓ぼんのとこの婆やは50年版から変わらず浦辺粂子。

50年代版の時代設定は原作と同じ昭和10年代だったのに対して、こちらはフラフープやレコードが出てくるので戦後と思われる。旧家の崩壊というよりは新たな秩序やお家のありように向かおうとする、ややポジティブなかんじは漂っているかも。

配役でいうと、雪子 - 山本富士子が上のふたりとこいさんを繋いでがんばっているふうで、50年版の雪子が上瞼のシミのことを気にしたりくよくよおっとりしていたのとは対照的かも。新たなお見合いに躊躇する理由も最初のよかった人が事故死してしまったトラウマから、になっている。

あとはどちらも着物がきれいだねえー。

ここからずっと後に旧きよき大阪(よう知らんけど)はあの政党の経済優先策によって焼け野原にされて、お国のほうもこの時代のきな臭くて気持ちわるい家のありように回帰しようとしているかに見える(なんのために? ほんときもちわる)。だからこそ改めて四姉妹をー、にはなるのかもしれない。


17日の夕方にブースター打ってきた。昨年3月にロンドンで一回打っているので、ア・モ・モ・ファ。
いろいろ備えて構えたのだが、一日過ぎても腕が痛いだけで、やってきた頭痛は気圧のそれと思われ。結局いちばんきつかったのは最初のやつだったかも。

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