3.09.2022

[film] Mothering Sunday (2021)

3月1日、月曜日の晩、BFI Playerで見ました。
原作はGraham Swiftが2016年に発表した同名小説を”Lady Macbeth” (2017)や”Succession” (2020)や”Normal People” (2020)のAlice Birchが脚色してフランス人のEva Hussonが監督している。 邦題は『帰らない日曜日』? 母の日じゃないの?

第一次大戦の頃の英国の田舎で、Jane Fairchild (Odessa Young)はNiven家のBeechwood邸で働くメイドをしていて、当主のGodfrey (Colin Firth)はよい人で快活だがいつも笑いが変に強張って、傍にいる妻のClarrie (Olivia Colman)はなにかどこかが壊れてしまっていて、その挙動がGodfreyと周囲の人々をまた凍らせてしまう、そんなサークルのなかにいる。

Mothering Sunday – 母の日の日曜日にJaneは自由に邸の外に出て遊んできなさいと言われて、Niven家と仲良しのSheringham家の御曹司Paul Sheringham (Josh O’Connor)は、Janeのところに電話してきて、Sheringham家のメンバーはNiven家の方にランチに行ってしまうから、うちに来ない? って誘ってJaneはPaulの部屋にやってきてセックスをしたり濃厚な時間を過ごす。

そこにNiven家のテーブルで話されるEmma (Emma D’Arcy)とPaulの婚礼の話 - Janeもそれを聞いている - とか、その背後に浮かびあがるついこないだの大戦での肉親の死のこと – Clarrieの混乱はそれに起因するものなのかなんなのか、あとは、少し時を経て作家になったJaneが恋人のDonald (Sope Dirisu) - 彼も死に向かう - とする会話などが挟まれていく。

やがてPaulはNiven家のランチの席に行かなきゃ、ってJaneひとりを残して唐突に出て行ってしまう。ずっといていいから、と言われてひとり裸で残されたJaneはタバコを吸ったりしながら書斎の本の間をゆっくり彷徨ってページをめくったりいろんなことを想う、気だるい日曜日の午後の描写があって、その後にNiven家に戻ったJaneはPaulが自動車事故にあったことを聞かされる…

後になって思い起こすことができる -「それ」が始まったときのこと、その起点となった出来事のこと、それらが他の回想と絡まったり捩れたりしながら解されていく、その構成がよいの。いろんな他者のそれも含めた曖昧な記憶とかそれらの穴の開いたところとか、浮かんでくる泣き顔だったり狂ったような振舞いとか、それらが統合されない状態で時間の前後関係なく置かれていって、そういうのが現在の自分を作っている – ようなことが俯瞰できるように配置されている、というか。ぐじゃぐじゃの今の部屋(そこに積もった時間)を眺めているとそういうことなどが見えてくる。(お片付けにはならない。よくない)

そして最後は歳を重ねて大作家となっているJane (Glenda Jackson)の姿が映しだされるの。

主役のOdessa Youngさんについては”Shirley” (2020)くらいでしか見ていないのだが、Josh O’Connorと一緒にいる姿はとてもよくて、とにかくJosh O’Connorの”God's Own Country” (2017)でも、”Only You” (2018)でも、”The Crown” (2019-20)でもこないだの” Romeo and Juliet” (2021)でも、誰が隣にいてもどんなに親密になっても激しくやったりしてもひりひりひとりで焦って擦りむいて隅っこで泣いているか、結局ひとりとか、その辺のイメージについては今回も裏切っていない。彼が窓辺に裸でぽつんと立っているだけで、なんであんなに.. があるので、よいの。

そういえば、Olivia Colman & Josh O’Connorって”The Crown”では親子 - すごい親子 - をやっていたねえ。
そういえば、Josh O’Connorは、”Emma.” (2020)でもEmmaっていう女性に絡もうとして空振りしていたねえ。

Colin FirthとOlivia Colmanのとってもありそうな夫婦の光景は、時代設定はそのままで、ここだけ別の映画として - やっぱりホラーかなあ - 切り出してほしいくらいにスリリングに火花が散ってよいかんじだった。

あと、Alice Birchの脚本は”Normal People”にもあったような後ろめたさ、いけないことをしているかんじと、それでもどうしようもなく一緒にいたいのだという切迫感がぱんぱんに篭って響いて、結果余白だらけのまっしろになってしまうような会話の運びが絶妙で、画面の(どちらかというと)しらっとしたスタイルにうまくはまっていたかも。1920年代の若者があんな電話のかけ方をしたのか、っていうのはあるけど。


伊勢丹の英国展に行ったのだが、なんであんなにスコーンばっかしなのか。もっとおいしいものいっぱいあるでしょうに、とぶつぶつ言いながらスコーンを買う。あんなのただの粉なのに。粉に油のっけて食べるだけなのに。

あとでチラシを見てNeal's Yard Dairyが来ているのを知る。スコットランドのチーズたべたい。
 

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