3.13.2022

[film] The Batman (2022)

3月10日、木曜日の晩、109シネマズの二子玉川で見ました。
IMAXレーザーで。あの画面いっぱいに”THE BATMAN”てでっかく出るのが気持ちよい。

すでにいろいろ語られている通り、これまでのBatman / Bruce Wayneものとは随分違っていて、こんなのを3時間も、などその辺の賛否もあるようだが、わたしはおもしろいと思った。ネタバレはなんとなくしているかも。

Gotham Cityで現職で再選を狙う市長が自宅で惨殺されて、テープでぐるぐる巻きの現場にはRiddler (Paul Dano)からBatmanへの謎かけ - 次の殺害予告が残されている。 市長の交友関係 - 写真に写っていた女性を洗っていくなかで彼女の消息を追うSelina Kyle / Catwoman (Zoë Kravitz)とぶつかり、出入りしていたクラブに潜ってみれば、Carmine Falcone (John Turturro)とかPenguin (Colin Farrell)とか札付きのワルに加えて政界司法界の重鎮たち- 検事長のGil Colson (Peter Sarsgaard)など - がヤク漬けのへろへろで並んでいて、そのうちGil Cousinが殺され、更にはAlfred (Andy Serkis)にまで手が..

こうしてBatman / Bruce Wayne (Robert Pattinson)とJames Gordon (Jeffrey Wright)がRiddlerの謎を追っていくと、富豪である自分の父親の過去にまで辿り着いて、なんだ結局全部腐れていたのか、って。 ストーリーとしてはこんなもので、驚愕の陰謀や機構が明らかになったりなぞなぞの解明にものすごい何かが込められているわけではないの。陰謀論の臭みも含めて誰もが薄々こんなもんだろ、て思っていた辺りを知力というよりは暴力を使って手繰って暴いていく。そしてその最後に現れた最強の.. というのがこれまでのヒーローものの定石だと思うのだが、そっちの方にも向かわない。

結果からすればRiddlerの思った通り願った通りにコトは運んで災禍は起こるし悪い奴らはぜんぶ揃って繋がっていて、だからBatmanあんたの負けだ、っていうのではなく、GothamがあんなふうこんなふうになってしまうことをBruce Wayneは - 彼だけじゃなくて市民は - 知っていたはずではないか、という。誰もがJokerの登場やそれに続く一揆を予測できたのと同じように。

Batmanが勝ったとか負けたとか、だから/それでもヒーローだとかそういう話ではなく、Gothamという都市から派生したり寄生したり、地下の壁や廃墟に擬態したり凝集したりするいろんな変態や動物のエコ・サークルを為す、そのありようを描いているというか。これがどれくらい歪で、故に生々しく我々の目に映えることか。監督のMatt Reevesが”The Planet of the Apes” (2014-2017)のシリーズでああなった猿たちとの共生を強いられている - もはやどうすることもできなくなった - 世界を描いたのと同じような視座。

こうしてBatmanが悪を追い詰めていったその果てにGothamの縁が崩れて大洪水がやってくるのはわかりやすいし説得力あるし、ここでの方舟には誰が乗るのか乗れるのか、とか。避けようがない運命のようななにか、を前にしたときそれでも戦うのがヒーローなのかもしれんが、ここにはJusticeもLeagueもないよどうする? って。

今度のBatmanが「エモい」という形容で語られているのだとすれば、それは彼がどれくらいこの与えられた環境下でぐでぐで喧嘩したり反発したりしつつも(その運命に立ち向かうのではなく)同化しながらやっていく、その具合を指しているのではないか。Riddlerの怒りとBruce Wayneの絶望はある時点までシンクロして同じところを見ているような。 そして、Bruce WayneがなぜBatmanになったのか、彼はどんなふうにGotham社会で認知されることになるのか、といったこれまでのBat映画で必ず描かれてきたこのプロセスがない。彼がやっているのは社会からすれば勝手な自警団的なあれで、”Kick-Ass” (2010)のNicolas Cageがやっていたのに近い。

という状態を踏まえたとき、過去のBatmanたちと比べてあれこれ噴出して好き嫌いでわーわーなるのは当然のことで、華奢でそんなに強くなくてゴスで暗くて富豪のくせに社交性ゼロで、本人も始めてからきっと少し後悔していて、どこ行っても「なんだてめーは?(呼んでねえよ)」になってしまう - 本人もそう思っている - 今回のBatmanの像はすばらしくよいと思った。Alfredはよくこんなの我慢してお使えしているもんだわ。

ずっと夜で雨が降っている街で、ノワールふうのダークネスに満ちているのにファム・ファタールはいなくて、例えば復讐というテーマは特定の悪に対してというより社会全体に対してあって、出てくるのは恋人というより友達っぽいCatwomanだけ。彼女はまだ子供のよう - あのマスク、鼠小僧だよね - なので、とにかく線が細くて猫にだってやさしい。Batmobileをいくらばおんばおんやってもはいはい、になるし、マントもまだちゃんと使えていないような。

音楽はMichael Giacchinoのスコアの他にNirvanaの”Something In The Way”が流れてくるのだが、この選曲も実に微妙で控えめで、90年代ぽい雰囲気なら他にもいっぱいあったような。”The Downward Spiral”を延々流しておくとか。いっそのこと”The Crow” (1994)みたいにしちゃえばよかったのに。

Robert Pattinsonの前髪は90年代のTrent Reznorのように見えたりするし、Paul Danoは同じ頃の(R.E.M.の)Mike Millsのように見えるし、あの頃のあのふたりがぼかすか喧嘩しているのだと思うと楽しい。

Barry Keoghanはやっぱしすごいな。あのシーン、あれだけで。

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