1.13.2022

[film] The Tragedy of Macbeth (2021)

12月31日、おーみそかの昼、新宿ピカデリーで見ました。

A24配給で、昨年のNYFFでプレミアされて、LFFのクロージングで上映されたエッジが強めのモノクロ(撮影はBruno Delbonnel)の105分、ほぼ正方形の画面。

原作はシェイクスピア。Joel CoenがEthanとの共同制作/監督から離れてソロ監督デビューした作品。
Joel & Ethan Coenの映画の持ち味というと、ほんのり素朴でほんのり野蛮でその結果なんかおっそろしいことが淡々と起こったりして、そのありようがうっすらおかしいのがまた不気味、というホットでもクールでもない田舎の道端の草とか泥のようなアメリカ、だと思うのだが、その片割れの人が英国ど真ん中の、よりによってシェイクスピアをやるのだと。

冒頭、3人の魔女をひとりで演じているKathryn Hunterが不吉な鳥となって子供だったら絶対泣きだす形相でおどろおどろの予言を告げたあと、画面はキリコの絵の幾何学模様がモノクロになってドイツ表現主義に転移した光と影のなか、スコットランドのお城と道端で(実際の撮影はバーバンクのスタジオのすべて屋内だったそう)展開していく、とてもかつてのCoen印とは思えない、一見してアメリカ映画とは思えない光景 – あーでもそんなでもないかも - が現れて、それだけで十分おもしろい。

もちろん、敵はシェイクスピアなので、シェイクスピア演劇でも映画(Macbethの映画化作品だけでも相当ある)でもそれなりに積みあげられてきた世界(観)とドラマトゥルギーの話があり、それに基づく俳優や演技の論があり、それらはながーい歴史の中で議論されたり培われたり更新されたりしてきたものだし、見る側もあんまよくわかっていなくてもそいつに触れると(なにかが)きたきたきた、とか思って楽しむことができてしまう。

Duncan王 (Brendan Gleeson)の治世下、のしあがってきたMacbeth (Denzel Washington)とLady Macbeth (Frances McDormand)が、更にのしあがるのよ、ってMacbeth夫人の取り憑かれた念と思いで殺しを重ねていって、Macbethは明らかにコントロールを失っていって.. (もっといろいろあるけど略)

Macduff (Corey Hawkins)やLady Macduff (Moses Ingram)をはじめ俳優たちの切り返しとすれ違いの距離(の取り方)を中心に構成された演技はどこを切り取っても悪くないのだが、全編を通してあんまし悲劇 – The Tragedy – ぽいかんじはしない。さくさくと連続していく「殺し」のなかで権力に囚われて孤立していく夫婦のありようを「悲劇」と呼ぶのはなんか違う気もするしー。

LA Timesのインタビュー記事-“Joel Coen wouldn’t have made ‘Macbeth’ with his brother Ethan. Here’s why”にはJoel Coenがこの作品をどう構想して作っていったのかが書かれていて、元は2016年のBerkeley Repertory Theaterでの演劇でFrances McDormandがLady Macbethを演じることになった際に舞台演出をしてみないかとJoelに相談が来て、あれこれ考えるようになって、シェイクスピアの専門家の話も聞きつつ、“as clear as possible” で “accessible even for people who are like this”にしたかったのだと。そういう点では確かにわかりやすいのだが、別にシェイクスピアでなくてもよかった気がしないでもない。

おもしろいんだけど、でもどこまでも悪夢の泥沼のようなところには踏みこんでいかなくて、いちばん怖かったのは結局冒頭の魔女のところだったような。Denzel Washingtonはいつものようにものすごい磁場を作るし、Frances McDormandはその反対側でいつものように浮揚した闇を抱えて彷徨っているのだが、言葉を介してのぐさぐさどろどろに絡まっていかないのがなんかもどかしくて、クラシックな前衛劇を見ているようで、シェイクスピアのかんじがあんまりこない。シェイクスピアの匂いがしないシェイクスピア映画ってやっぱり失敗なのではないかしら? とか。

JoelとEthanのふたりが作る映画とはぜんぜん違うかんじだし、確かにふたりではできないようなやつだったのかも知れないけど、あのふたりのテイストでシェイクスピアやってほしいのだけど。ふたりがやるとベケットのようになっちゃうのかしら。

あと、音楽のCarter Burwellが彼にしてはやかましく吹き荒れていてすばらしかった。


RIP Ronnie Spector。 90年代にアメリカに行ったときの野望のひとつが彼女とDarlene Loveのライブを見ることだった。どちらもクリスマスのライブで実現した。ありがとうございました。

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