1.05.2022

[film] 偶然と想像 (2021)

12月25日、土曜日の昼、ル・シネマで見ました。
英語題は“Wheels of Fortune and Fantasy” – この英語題、素敵よね。

濱口竜介の監督・脚本による「短編集」。「長編」である『ドライブ・マイ・カー』(2021)については、時間をたっぷり使って俳優の言葉や動作がクライマックスのドライブに向けて縒り合されていく、その強引な凝集力のようなのがすごくて、世界の誰もが認める傑作だとは思うものの、こちら短編集のどっちに転ぶか見えないばらけた危うさとか不確かさがとても好きで、なので昨年のベストにはこちらを入れた。

全3話で、どれもそれぞれにおもしろい。

『魔法(よりもっと不確か)』
モデルの芽衣子(古川琴音)が昔からずっと友達のメイクのつぐみ(玄理)と撮影後のタクシーで、つぐみが最近出会った男性(中島歩)の話 – 初めて会って話し始めたら互いに止まらなくなって夜中まで話しこんでしまったこれって恋かしら、というのを聞いて、その話に出てきた「彼」について確信してつぐみと別れてから夜中に会いに行ったらやっぱりそうで、もう彼と芽衣子は終わっているし彼女の方からよりを戻したいわけでもないのだが、言いたいこと聞きたいことがあるらしい。 で、こんどは昼間に3人が鉢合わせして.. つぐみと芽衣子、それぞれにかけられた魔法、と思ったけど実はそんなでもなかったやつ。

『扉は開けたままで』
作家で教授の瀬川(渋川清彦)は、出席日数の足りない学生 - 佐々木(甲斐翔真)が土下座して頼んでも単位取得を認めなくて卒業させず。それで逆恨みをした佐々木は、自分のセフレで瀬川の小説のファンだという奈緒(森郁月)-既婚で子供がいるけど勉強したくて大学に入った - に色仕掛けで瀬川を陥れるように頼んで、佐々木は渋々瀬川の教官室に行って著書にサインとかして貰って、彼の小説の一番淫らなパートを音読したりするのだが、そのパフォーマンスに感動した瀬川はそれを録音した音源をくれないか、って彼女に頼んで.. セクハラ、アカハラ防止用に扉を開けたままにしておいたら思わぬ扉からー。

『もう一度』
高校の同窓会に参加するため仙台にやってきた夏子(占部房子)があんまぱっとしなかった会の翌日、帰ろうとした仙台駅のエスカレーターであや(河井青葉)とすれ違う。互いにあっ、となって戻って駆け寄り20年ぶりの再会ね、ってあやの家に行っていろいろ話をしていくと、だんだんあれ? ってなるところが出てきて、確認していくと互いに思っていたのとは別の人で学校も違っていた、と。残念―、て夏子は戻ろうとするのだが。 でも、違っていたからさようなら、にする必要なんて実はまったくないのだった。

偶然がファンタジーを呼び寄せたり(気のせい)、ファンタジーが偶然に火を点けたり(これも気のせい)、それらが輪舞をしながらがっかりしたりきりきりしたり落っことされたり、一寸先は闇よねーこわいー、って頭を抱えたり、これらはどんなふうにドラマとして我々の日々の生に痕をつけたり傷を残したりしていくのか。また、偶然も想像もない世界では、ひとはなんてぼーっとしてつまんなく生きていることになるのか、とか。

『ドライブ・マイ・カー』における偶然とファンタジーの歯車はここにあったような小さいのが組み合わさってより大きな歯車 → 車となって終盤に走りだしていく。その車を動かしたのは人の死だったのではないか。この短編集では人は死ななくてドライブするところまでは行かない。でもそれぞれの登場人物たちが小走りで追ったり逃げたりする手前で終わる。

ロメールに似ている、かんじは確かにある。のだが、ロメールって果たして「偶然」を扱ったのかしら? って思ってまだ考えている。彼の映画の出会いって、偶然を装った(見せかけた)必然というかファンタジーと決断の織物で、だからおもしろいのではないか、とか。


今年はあと360日。

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