1.26.2022

[film] The Souvenir: Part II (2021)

1月19日、水曜日の午後、A24のScreening Roomで見ました。

19日(米国時間では18日)の晩、Part IとPart IIを一挙上映(配信)する、という案内が来て、あんま考えずにチケットを取ってからさてどうしよう、と。開始は日本時間の朝8時、閲覧ウィンドウはそこから9時間、上映時間は2本合わせて4時間弱、午後に会社休んで自宅に戻り、窓が閉じてしまう17時少し前に見終えた。よかった。

前作の“The Souvenir” (2019)はすばらしいと思って好きになったものの、どこがどう、とは言い切れない不思議な感触の作品だった。終わって、もっと見たい - 主人公がどうなっていくのか知りたい、と思ったところでエンディングに”Part II is coming!”と出たときには映画館内でどよめきが起こったことを憶えている。うれしい早く見たいとなって、昨年のカンヌでの公開でも評判で、Sight & Sound誌の年間ベスト1に選ばれて、でも見れないのでずっと死んでた。

前章の“The Souvenir”をおさらいしておくと、映画学校の学生で卒業制作でSunderlandのドキュメンタリーを作ろうとしているJulie (Honor Swinton Byrne)には外務省に勤めているという(確証はない)Anthony (Tom Burke)とナイツブリッジのフラットで同棲していて、瀟洒なレストランで食事したりヴェネツィアに旅行したり大人な日々を送る反対側でドラッグに溺れて危うく毒々しくなっていくAnthonyとの関係とか、映画制作その他で度々お金を借りに行くJulieの母Rosalind (Tilda Swinton)とのこととか。大きな事件やときめきの瞬間が描かれることはあまりなくて、でも終わりにAnthonyが突然死んでしまって終わる。

背後の人間関係もざっと書いておくと、主演のHonor Swinton ByrneとTilda Swintonは実の母娘で、監督のJoanna HoggはTilda Swintonの学生時代からの盟友で、Honor Swinton Byrneの名付け親で、この作品は監督自身の卒業制作の頃を自伝的に描いてもいて、その卒業制作の短編 - ”Caprice” (1986)の主演はTilda Swintonで、2020年のBFIでのTildaさん特集での”Caprice”上映の際には、”The Souvenir Part II”に深く関係があるので本来であれば(Tildaの特集でなければ)上映を許可しないのだ、と語っていた。 あと、”Souvenir”主演のJulie役はプロの俳優をオーディションしていったのによい人がいなくて最後に監督がほぼ素人だった - 女優になるつもりもなかった - Honor Swinton Byrneを引っ張った、など。人生の大きな節目となった作品の制作当時のことを振り返る半自伝的作品の中心に、その作品に主演した女性とその娘を連れてきて演じさせるってなんだかすごい。

ちなみにHonor Swinton ByrneはTildaさんの初監督短編 - “Will We Wake”(1998)で赤ん坊当時の寝顔を披露していて、同様にTildaさんが一部監督として参加したJohn Bergerのドキュメンタリー”The Seasons in Quincy: Four Portraits of John Berger” (2016)にも出てくる。実は画面上のキャリアは長いの。

物語は”Part I”のすぐ後から始まる。Anthonyがいなくなった後、引き続きナイツブリッジのフラットで暮らしながら卒業制作の準備を進めているJulieはなにをやっても上の空で、親と話していても突然吐いてしまったりのぼろぼろで、作る予定の作品も当初のドキュメンタリーから身近なエッセイ風の題材に変えて、教授たちからはこれだと製作費は出せないと言われ、スタッフからはどこに向かおうとしているのかわからないと言われ、でも彼女の頭のなかではAnthonyとの過去や現在の自分の像が作って立ち向かわなければいけないと思っているイメージたちが強迫観念のように被さって見えている。

この辺の、映画製作に関する映画の形式を取りながら、結局あんたなにをしたいのよ、を問いながら彷徨う、力強い青春ドラマになっていると思った。どこに向かっているのかわからない人の彷徨い(の果てのなさと孤独 - 誰にも救えない)、というのはJoanna Hoggがずっと追い続けているテーマだと思うのだが、そこに反射するいろんな光と影、画面の肌理を細かに使い分けていく語り口の揺るがないことときたら前作を遥かに上回っているし、Julieは岐路に立つ不安定な女性を見事な落ち着きと存在感で、輪郭のはっきりした女性として(矛盾しているようだけどそれらすべてを堂々と)演じきっていてすばらしい。毒男がいなくなったらよりすっきりした、というだけなのかもだけど。

そして前作よりもよりきめ細かに描かれる母Rosalindとの関係。田舎で夫(James Spencer Ashworth)と犬たちと悠々暮らしつつ娘のことになるとおろおろしまくるおばあさん、をWes Andersonの映画を遥かに凌ぐたまんなく妙なリズムと衣装で(しかし見事に様になっている)演じていて、リラックスしているのだろうけど、すごい人。

画面に登場する3匹のわんわん達はTildaさんが飼っているEnglish Springer Spanielで、彼女は”Romeo I lack from Flavio” (2018) ていう短編で、オペラにのって踊りまくる彼らの姿を短編として撮ったりしている。今回のわんわん達は、カンヌの外側で行われているお祭り(?)でPalme Dogというのを受賞している、らしい。

音楽も前作以上にすばらしくて、”Part I”のエンディングで流れたAnna Calviの”Julie”から始まって、Nicoの”Sixty/Forty”とか、Mick Ronsonの”Slaughter on Tenth Avenue”とか、JAMCの”April Skies”とか、Wireの”Pink Flag”とか、Small Facesの”Tin Soldier”とか、もうたまんないの。

もうあと10回くらい見たい。あの映画の世界で暮らしたい。

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