3.18.2020

[film] The Garden (1990)

12日、木曜日の晩、BFIのTilda Swinton特集で見ました。
(コロナのせいで彼女との逢瀬は16日のが最後になってしまった..)

事前の告知には“Introduced by Tilda Swinton and additional collaborators of Derek Jarman”とあって、そのひとりがSimon Fisher-Turner さんであることを前日の”The Seasons in Quincy… ”のトークで彼女が告げていたので、Simon Fisher-Turnerを見れるなら、と売り切れになっていたやつに割りこんで取った(念じれば取れる)。

時間が来て、紹介されて壇上にあがったのはTildaの他にSandy Powell(衣装), Annie Symons(衣装), Simon Fisher-Turner(音楽), Seamus McGarvey(撮影)、といった面々で、どこをどうしても堅気にみえない愚連隊みたいなおじさんおばさんたちで、あたしたちJarman’s Kindegartenにいたのよ! ってTildaさんは誇らしげに愛おしげに紹介していた。

今回彼らが集まったのはスクリーン上に投影されていたJarmanの庭 – Prospect Cottageへの寄付を、というメッセージをアピールするためで、”The Garden”の撮影が行われたこの場所とコテージは文化遺産として保存されるべきで、なぜかって – と、ってこの場所で制作活動をしていた頃のことをみんなで振り返って語っていく。Jermanは特にこうすべし、ということを強くは示さずにそこらで寝ているスタッフにも意見を聞いたり取り入れたりして、本当に楽しく啓発される現場だった、と。こないだのConversationの際にも言っていたが、この場所は我々にとってのでっかいToolboxのようなものだった、と。

興味があるひとは ↓ から寄付してね! と。(できれば現地に行ってみたいところ)
https://www.artfund.org/get-involved/art-happens/prospect-cottage

本編の前に短編として”Aria” (1987)からDerek Jarmanが担当したパート"Depuis le jour" – Gustave Charpentierの”Louise”より - が流れる。これ、日本で公開されたときに見たけどまったく憶えていなかった。

続いての”The Garden”はロンドンに来てからも1度見ていて、個々のイメージ – Madonna (Tilda Swinton)とか聖職者とか乞食とかグラスを擦って鳴らすおばさんとかやくざとかLGBTIQ的ななにかとか、それらが(時間や歴史は括弧で括っておいて)”The Garden”としか言いようのない平面上でわあわあ電子っぽく繰り広げる絵巻物。 当時は彼が沢山制作していたMusic Videoの延長のように見ていたかも。上の”Aria”の短編もそうだけど、夢を映像化してみる、かのような果てのない作業。

こういうの、当時のVideoの技術が可能にした何かだったのかも。いまのデジタルのデスクトップ上でぜんぶ賄えてしまうような創作環境だったら、Tilda達が寄り集まるようなことってあっただろうか? これって規模のでっかい映画制作とも違うVideoカメラの機動性とあの粒度だから可能になったなにかではないのかなあ、って。

この辺がDerek Jarmanの作品を見る時に気になるところで、ふだんBFIで見ているような「映画」とは違う気がして、だからといって見ないかというと、見るの。美しい瞬間はいっぱいあって、それが持続したり消滅したり、回転するその瞬きを見せてくれて、それって4Kとか8Kとかとはきっと無縁の何かではないだろうか。

いまDerek Jarman作品で見たいのは、今回はかからなかったけど、”Wittgenstein” (1993)と”Blue” (1993)なんだよなー。

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