3.16.2020

[film] Bacurau (2019)

8日、日曜日の昼間、NYのIFC Centerで見ました。いつものように帰る前になんか映画も1本くらい見たいな、て思っていて、適当な軽めのコメディがなくて、これかKelly Reichardtの”First Cow”かで、Kelly Reichardtのはちゃんと腰を据えて見たいかんじだったので、こっちにした。
午後の上映回だとSônia Bragaさんの挨拶とQ&Aもあったようなのだがしょうがないわ。

監督のKleber Mendonça Filhoは、前作の”Aquarius” (2016)がすごくよかったので、今回も(評判よいし)、素敵かも、と思った。そう思っていたのと相当ちがうかんじだったのでびっくりしたけど、そういうとこも含めておもしろかった。昨年のカンヌでは審査員賞を受賞している。
最初は、タイトルをBacalhau - 鱈と間違えていて、鱈をどうする映画なのか? とか。

数年後の近未来のお話。Teresa (Bárbara Colen)は祖母が亡くなったという報を受けて自分の生まれ育った村 – Bacurauに戻って、村の医者らしいDomingas (Sônia Braga)とか家族と再会して、確かに祖母は亡くなってしまったのだが、葬儀のところからなんか様子が変で、それがそもそも変な人達のいる村だからそう見えるのか、変な状況になってしまっている - そういう雰囲気があるからそう見えるのか不明で、とにかくなんとも言えず異様で、そのうち市長選の候補者が来ても誰も相手にしないし、やがてUFOみたいなドローンが現れて村の場所と名前がネットの検索に引っ掛からなくなり、電波も来なくなり、そのうち怪しいバイクの2人組とかが現れて..(あんまり書かない方がいいのか)

メディアとかでの紹介のされ方としては変てこ西部劇、みたいに書かれていて、確かに舞台設定は敵味方がはっきりしている西部劇ぽくて、敵味方は確かにそうなのだが、善悪、のところに来るとなかなか難しいかも。村には歴史博物館があって、それが後の方でそういうことか、とかわかるのだがそれにしてもおそろしいのはどっちの方なのかなあ、って。
この手の抗争って大昔からあったし、「アメリカ」人と「原住民」の戦いもこういうのだったのかも知れないけど、近未来ともなればこういうのを土地ごとなかったこととして「処理」してしまうことも可能そうだし、実際に東方のどっかの国はそうしたくてたまらないみたいなのだが、そういう状況に対するなめんなよおら、として見るのが正しいのではないか。

もういっこ、タランティーノ的な(理にかなった)抗争や復讐の物語から逸脱して、どこに行っちゃうのそこまでやっちゃうの、的な野卑なめちゃくちゃさに溢れているところ、これはブラジル北部だから、とか説明してしまっていいのか、べつにいいかんじがする。気になる登場人物の誰ひとり、どういう人なのかきちんと説明されなくて、だいじょうぶかなあ、どうするのかなあ、とか思っていると素っ裸でショットガンをぶっ放したりしているの。なぜそこで裸なのか? とか。

あと前作の”Aquarius” (2016)にもあった、家はなぜなにがなんでも護られなければならないのか、戦うことになったとしても、というテーマも。

たぶん他に参照可能な映画はいっぱいあるのだろうが、”Bacurau”で検索してもなにも引っかからない、どこにも行けない、そういうところを目指している気がした。


とうとう木曜日から始まる予定だったBFI Flare - LGBTIQ映画祭 - が中止になってしまい、National Galleryの”Artemisia”もリスケとなり、Second Shelfはオンラインのみになり、ボリスはパブとかには行かないように、とか言い出した。文句いってもしょうがないけど、最後まであきらめないで行けるとこ行くから。

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