10.23.2019

[film] Vitalina Varela (2019)

12日、土曜日の夕方、ICAで見ました。LFFでは”Dare”っていうカテゴリーからの1本。

前作の“Cavalo Dinheiro” (2014) – “Horse Money”は見ていない。見たいよう。
これの裏ではOlivier Assayasの新作 - ”Wasp Network”の上映(1回きり)がチケット発売後に後から発表されて、ぎー、って叫んだ。

今年のロカルノで金熊とBest Actressを獲っている。当然かな。

冒頭、ゴヤの絵のような闇に沈んだ路地の奥から葬儀の後なのか人々がこちらに向かってゆっくり歩いてくる。それだけでこの世界に繋がれて囚われてしまうかんじ。

続いて空港で、飛行機のタラップからなぜかびしょ濡れの裸足で降りてくる女性。これがVitalina Valeraで、彼女はCape Verdeからポルトガルに働きに出ていた夫の訃報を聞いて飛んできたのだと。全て畳んでここに来たのでもう国には戻れない、でも夫はいないのでここにも居場所はない、と。

それでも夫が住んでいたスラム(としか思えない)の廃墟長屋に入って遺品を整理したり、夫の知り合いの話を聞いたり(付き合っている女性がいたらしい)、食事を作ったり作ってあげたり、牧師 (Ventura)と会話になっているようないないような会話をしたり。
部屋と長屋周辺、教会、墓地、場面はそれくらい、時間帯はほぼ夜、畑仕事みたいのをする時も夜中、部屋のなかはほぼずっと暗かったり雨だったり。

そんな限られた場所の限られた時間で、交わされる会話もほとんどなく、たまに歌が聞こえてくる程度で、この中からドラマのようななにかが立ちあがったり進行していく気配なんて微塵もない。

彼女がVitalina Valeraで(Venturaもそうだけど)本名も役名もおなじで、実際にこれはCape Verdeからリスボンにやってきた彼女の身の上に起こったことなのだそうだから、これは彼女のドキュメンタリー映画なのかというと、やはりそうではなくて、彼女がどこでどうしてどうなった、という事情あれこれを綴ったものではないの。何度もアップになってこちらを静かに見つめてくる彼女の眼差しに囚われて動けなくなる、その暗がりの中で幾重にも重ねられた彼女の生と対峙する、そういう時間で、これって別に映画鑑賞とか呼ばなくてもいいような。

ここにはひたすら圧倒的で、圧倒されるしかない剥きだしの、その前では肯定も否定もしようがない生の貌のようなものが映っていて、こんなものを掘り出して時間をかけてカメラの前に据えたPedro CostaもすごいけどVitalinaはもっとすごくて目を離すことができない。 彼女はなんであんなにもものすごく生きているのか、って。(”Best Actress“しかあげられるものはないのだろうけどそういうのを軽く超えたありよう)

身の上語りでも人の評判でもその間のお喋りでも語り尽くせないなにかがここにはあるので見てみてほしい。
とにかく見て、としか言えないわこんなの。

そして最後のシーンでじーんと打ちのめされるの。

もういっこ、極めて政治的なフィルム、ということも言えるのかもしれない。なにかを政治的に突き動かそうとしている、とかいうのではなく、貧困、都市、ジェンダー、移民、ポストコロニアル、そして愛と、これらの問題の諸相が凝縮された貌 - 今の政治のありようが生々しく表に出てしまっているような。昨今のドキュメンタリー映画の主人公たち100人の顔たちを重ねたような顔、W. Eugene Smithの写真のなかにいる人の印影。

でも、彼女を画面の向こうのイメージにしてしまってはいけない。

上映後、監督のPedro CostaとのQ&Aがあって、”Horse Money”の撮影の終わりの方でVitalinaと出会い、彼女が映画の中で語っているような彼女の身の上を聞いて映画にしたいと思い、対話を重ねながら時間を掛けて撮影していった、という経緯の話。アプローチはVenturaを撮るときのそれと似ていたが、彼女が女性であるということは意識したので、その点では『ヴァンダの部屋』(2000) と似たかんじだったかも、と。

質問はなんかしょうもないのが多かったのだが、一生懸命考えて誠実に答えようとするところはPedro Costaだった。

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