10.02.2018

[music] Soft Cell

9月30日、日曜日の晩、O2アリーナで見ました。

昨年のMarc Almondの還暦記念公演がものすごかったという声をあちこちで聞いていたので、2月にこれが発表になったときも、あっという間に売り切れちゃうんだろうな、と思って、実際にチケット発売のタイミングを少しミスしたらもうろくな席がなかったので諦めて、この同じ晩にBarbicanで行われるRyoji Ikedaのライブのほうを – こちらも売り切れていたけど - 2日くらい前に取っていた。

で、公演前日にさる方角から肩をとんとんされて、そういえばどうかしら、と朦朧した状態の朝にサイトのチケット見てみたらフロアの席が取れたので取っちゃった。(値段は目をつむって見ない)

Soft Cellに関してはそんなに情熱的なファンではなかった、ということは白状しておかねばならない。

彼らが81年に"Tainted Love"でメジャーになって、”Non-Stop Erotic Cabaret”で爆発したときはまだ高校生だったし、SoftでTainetedでEroticなCabaretなんてムリムリで、聴くならHuman LeagueがあったしTubeway ArmyがあったしDepeche Modeも出てきてたし、同じCabaretならCabaret Voltaireのほうだったし、同じエロを扱うにしてもThrobbing Gristleのほうがまだアートぽくて勉強になる気がした。 あと2年くらいして大人になってからな、って思っていると軽く40年とか経っちゃうんだねえ。

ただ、言うまでもなく、時代は彼らが正しかったことを証明している。クィアーでビザールでゴスでソドミーでジャッロでLBGTQのことだって当たり前のように歌っていた。”Non-Stop Erotic Cabaret”というのはいまのネットの世界のこととしか思えない。MCでMarcも言っていたが、彼らは最初からずっとOffensiveで、でも今や誰もが簡単にOffensiveになれちゃう時代になった、と。

これでSoft Cellとしての活動は終わりなのだろうが、悲痛感やこみあげる何かが一切ないのは、Marcはこれからも自分のライブでSoft Cellを歌っていくだろうし、時代がようやく追いついてきたようだから、彼らの子どもたちがウィルスのように自己増殖しながらいくらでもそれぞれの”Tainted Love”を歌っていくに違いないことを(彼らがGloria Jonesから持ってきたように、さらにMarilyn Mansonに継がれたように)みんなわかっているから。

19:30スタートで、ライブの模様は全英のでっかい映画館にも同時中継されてて、ヨーロッパと米国にもそのうちに行くって。前座はなかったけど入るとふたりのDJがまわしてて、選曲は”No.1 in Heaven”とか”Life in Tokyo”とかなかなか素敵で、締めは”The Sun Ain’t Gonna Shine (Anymore)”だった。

アリーナはスタンディングではなくて、大量のお年寄りを考慮して一応椅子が入っていた。けど結局みんな最初から最後までずっと立ってて、踊るというよりハグしてキスして互いに寄りかかってうっとりしているかんじ。

全面のスクリーン3つ(真ん中のだけ縦にでっかい)にピンク-紫のぴちぴちしたネオン文字とオープンリールとかミキサーの絵が映しだされて、彼らが現れて”Memorabilia”から始まる。Dave Ballが名の通りのBallになっていたのでびっくり。 寺内貫太郎みたい。

誰がやっているのか、昔からそうだったのか知らないが、曲ごとに変わっていく背後のヴィジュアル・グラフィックがすばらしいセンスでしかもばらけていて、そっちばかり見てしまう。”Darker Timess”は、これが今の時代だ!と宣言して、Trumpに原発にテロにスラムに異常気象に、かと思えばエロとかグロのほうは、こんなのアリーナで流すか?  みたいなのががんがんに来る。これでもまだアートに政治は … とか言うかね?

曲によってバックヴォーカルが4名、トランペットとサックス各1、奥のほうにドラムスとパーカッションがいた模様。
だけど基本はDave BallのプラスティックなシンセとMarcの声だけ。密室空間きちきちでもなく、ぱーっとした祝祭空間どかどかでもなく、その中間でひとりひとりに投げ縄とか蜘蛛の糸を放ってくるような。 Marcはたまにとちったりしていたが愛嬌でごまかし、他方で”The Best Way to Kill”とかではギター系の音がしょぼい、ってDaveに2回もやり直させたりしてた。

“Numbers”のところでBowieの話になって、John Rechyの”City of Night” (1963)はBowieも自分らもすごく影響を受けた小説で、そういえばBowieから一回サポートアクトの依頼が来たことがあったけど、蹴っちゃった – まだ僕らできていなかったのよね –  で、この曲もJohn Rechyの小説からね、って。 Marcにメモワール書かせたらおもしろいものができるだろうな。

“Last Chance”では後ろのほうで金魚みたいに赤い服の女性がひらひらと現れて、誰かと思ったらMari Wilsonで、あららお懐かし、だった。 The Compact OrganizationとSome Bizzareがダンスをする。 当時は両極のような気がしていたのにな。

短い休憩の間は、スクリーンに彼らが表紙になった雑誌とか12inchや7inchやカセットのジャケットとかMemorabiliaが次々と映し出され、Marcはお化粧直しして黒Tシャツからタイトな黒ジャケットになって、”Martin”(George A. Romeroの1978年のホラーね)から始まった第2部はややシリアスで固めの音(含. 新曲)が並んで、それでも最後は、というかこの流れに改めて置き直すかのように”Tainted Love”を - 12inch盤の、”Where Did Our Love Go”を挟み込むバージョンで。
この後にスクリーンには ”Isn’t It Nice” - “Sugar and Spice” - “Luring Disco Dollies” - “To a Life of Vice” の字幕が順番にでっかく出て、近所にいたファンの集団は発情した犬みたいに ”Sex!”と”Dwarf!”ばかり交互に叫びまくって狂ってて、最後にこんなの持ってくるかーと自分で言いつつも”Sex Dwarf”はMarcの極めて適切な煽りもあって客席ぜんぶが「Sex!」-「Dwarf!」- 「ぎゃぅぁーぁー!!」って絶叫しまくってて、それはそれは快感としか言いようがなかった。

ここまで、どこまでも不穏で淫靡な18禁のオンパレードでありながら、ちっともどろどろ陰鬱に凝り固まってくるものがないのは、彼らの音が常にイノセンスと紙一重の、というか常に若者のイノセンスを擁護し、それを解き放つかのように鳴っているからなのね、と、最後の最後の”Say Hello, Wave Goodbye” - このフィナーレのタイトルでもある - の大合唱とピンクのフラミンゴと炸裂したきらきらの紙吹雪でようやくわかる。

そして、わかったときにはもういないんだよね、と…

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