10.29.2018

[film] Doubles vies (2018)

21日、日曜日の夕方、Ciné Lumièreで見ました。今年のLFFの自分にとっては最後の1本。

この日は昼にここで”Be Natural: The Untold Story of Alice Guy-Blaché” (2018)を見て、すぐにBFIに移動してFrederick Wisemanの新作を見て、またここに戻ってきた。 BFIとここの間を20分で走破するのってできるとは思わなかったけど、やったらできた。

英語題(邦題も)は”Non-Fiction”。米国での公開タイトルは”Double Lives”になった模様。
元のタイトルは"E-Book”だったとか。

パリの編集者Alain (Guillaume Canet)のところに作家のLéonard (Vincent Macaigne)が訪ねてきて、こないだ渡した原稿のことについて議論するのだが、Alainはこれまでの作品もそうだったけど彼の私生活 - 含.女性関係 - が解りやすく反映されすぎてはいないか、Léonardはいやいやそんなことはぜんぶフィクションに決まってるじゃん、という平行線で、要はボツ、みたいなことになる。

Alainの妻は女優をやっているSelena (Juliette Binoche)で、子供もいて幸せそうに見えるのだが、Alainは出版界のデジタル化のことで今後どうしていくんだみたいな話があるし、SelenaはTVでやっているなんとか捜査官(刑事じゃないらしい)みたいなのがシーズン4まできて、いつまでこんなのやってるんだ、みたいになってきたし、仕事の上でふたりしてなんかどんよりしていて、でもAlainは同じ業界の若いLaure (Christa Théret)と関係もっているし、SelenaはLéonardと(おーまい)関係をもっていて、夫婦は互いの相手に相手がいることをなんとなく勘づいている。

そしてまた、Laureにはレズの恋人がいるし、Léonardにも政治方面の活動をしている同居中の彼女Valérie (Nora Hamzawi) がいるし。みんなDouble Livesをやっている。

Laureは出版のデジタル化について、それなしに出版界の未来はなし、みたいにばりばり進めていく仕事人で、それに呼応するようにAlainの上 (Pascal Greggory!)からは出版部門のまるごと身売りみたいな話をされる。 Léonardは本屋のイベントに呼ばれて話をしようとしても、結局話題は炎上ネタとしての彼のフィクションと私生活のこと、或いはポスト・トゥルースみたいなところに行っていらいら紛糾する。

身内や知り合いのなかで面倒に絡みあった関係の糸があって(そんなのは大昔からある)、デジタルの世界で可視化だなんだ言いながら何が本当やら嘘やらわからなくなっている世界があって(割と最近でてきた)、それらを巡って内部のものも外部のものも言いたいことを言いたいように言うようになっていて、だからじゃあ何かが変わったり良くなったり悪くなったりしたか、というと、ここに出てくる連中(デジタルになんとかAdjustしているシニアとデジタルネイティヴに近い若いの)に関してはあんま変わらずに適当にやっているっぽい。(それは軟体哺乳類 - Vincent Macaigneだからできる芸当なのかもしれないが)

それを象徴するかのように被さってくるのがValérieがLéonardの子を妊娠した、というど真んなかの事実で、これについてはあれこれ言ったってしょうがないじゃん、出てくるんだし生まれてくるんだし。赤子にDoubleもくそもないし。

Olivier Assayasはこれをロメール的なフランスのアンサンブル喜劇としてさくっと撮りたかった(撮影はスーパー16mm)ようだが、まず思い浮かべてしまったのは”L'heure d'été” - 『夏時間の庭』 (2008) で、あそこで縦に流れていく時間と、それによって失われようとしていたおばあちゃんの家の話と、ここでの横に拡がってみんなの生活を変えようとしているデジタル化の話はどこか似てはいないだろうか?  否応なしで、誰もがその変化に対応しないわけにはいかないのだが、他方で変わらないものもあると思うしだいじょうぶだよ、たぶん、みたいなそんなてきとーなノリの。

で、「夏時間..」ではラストにThe Incredible String Bandの"Little Cloud”が能天気に流れる中、カメラがふんわか空に昇っていくのと同じように、こっちのラストではJonathan Richman and the Modern Loversの”Here Come the Martian Martians”が流れて、やっぱりカメラは..  (.. いいよねえ)

キャストにアメリカ人を入れず、フランス人だけでやろうとしたのは正解で、前2作 – “Clouds of Sils Maria” (2014)や”Personal Shopper” (2016)のようにアメリカ人がキャストに入っていたら、例えばLaureの役をKristen Stewartがやっていたらどうなっていたかしら?

Alainが自身を”Winter Light” (1963)の牧師に例えるとこがあったけど、えーデジタル化ってそこまでのもんなの? とか、当時あの映画を見たひと達に聞いてみたい。

もういっこ、映画では Michael Hanekeの“The White Ribbon” (2009)の話が出てきて、ちょっと見てみたくなった。 そういえばこの”Non-Fiction”、なんかHanekeの”Happy End” (2017)と似たかんじがあるのだが、そんなことない?

「Juliette Binocheとかさあ.. 」てテーブル上で話題が出ているなかで平然と自分の演技を続けるJuliette Binoche、というおもしろいシーンもあるが、そんなことよりすごいのはむっちりみっちり絡みあっているJuliette BinocheとVincent Macaigneの裸体で、最初見たとき何の肉の塊かと思ったわ。

次はJuliette Binocheのなんとか捜査官、の本編を見てみたい。

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