10.19.2012

[film] La France (2006)

11日、金曜日の晩、『運命のつくりかた』に続けて見ました。
これは2007年に日仏(当時)のカイエ週間で見ていて、すごく好きになったので再び見る。 何度見てもよいの。

第一次大戦中、新婚のカミーユは戦地の夫から手紙を受けとるが、そこにはもう戻れないと思うから手紙書かないで、とあった。
錯乱して(でも無言で)いてもたってもいられなくなった彼女は、髪を切り、ぺたんこの胸にサラシを巻いて、男の子の恰好をして外に飛び出していく。
で、野原でたまたま会った第80小隊の行軍にくっついて歩いていくのだが、当然怪しまれて疎まれて追いだされそうになって、でも我慢我慢でついていくうちに馴染んでいく。 けどものすごい数の敵が来て大戦闘になるわけでも、味方が沢山きて盛りあがるわけでもなく、ひたすら地味で辛い行軍が続くばかり。 カミーユが夫に再会できる見込みも兆しもあるわけもなく、かと言って戻るわけにもいかず、全員そんなかんじで、なんのために、なんのために、なんのために、を噛みしめ、感情を押し殺しながらうらぶれて野山を歩いていくしかないの。

で、ふとなにかのきっかけで誰かが顔をあげ、無言で互いに目くばせして合図をしあい、この状況だと全員が銃を構えて敵に向かうことになるはずなのだが、彼らが手に取るのは何故か楽器で、みんなで演奏をはじめて歌をうたう。
楽器は缶からに糸を張ったようなやつとか、鉄琴とか手拍子とか、ぼろぼろのアコースティックで、歌うのは威勢のいい軍歌ではなく、愛しい娘さん~みたいなぼのぼのとした恋歌(当時の、ではなく今の)だったりするのだが、全員その場に立って、或いは座って、食事を摂るように音楽を奏でる。

なんで彼らが楽器を持って歌をうたうようになったのか、なんのためにそんなことをするのかは、まったくわからない。
戦場でそんな音をたてたらすぐに敵に見つかって危険なはずなのだが、音楽が流れている間は彼らは安全なように見える。(そんな根拠はどこにもないわけだが)

映画のなかで演奏するのは計4回、今回の再見で、どういう状態になると彼らが楽器を手に取るのか注意して見ていたのだが、とくにはっきりしたきっかけとかはないようだった。 音楽は特別のなにかとしてこの小隊の任務メニューに組み入れられているようではない、と。
なので、歌と演奏が終わったあとで、家族や恋人のことを思い出し、元気になって勇ましく任務に戻る、ということもない。

国と国が、人と人を殺しあう戦争という局面において、こんなような音楽は、歌をうたうという行為は、なんでありうるのか。
たぶん、なんにもならないし、なってこなかったし、これからもならないだろう、けど、でも、カミーユの場合のようにひょっとしたら、とか、そしてなによりも、映画を見ている我々は、少なくともほっとするのだった。
長雨の合間、一瞬だけ日が射したのを見たように。

今から約百年前の戦争で、うらぶれた小さな歩兵隊がオランダのほうを目指して歩いていった。
途中で思い詰めた目をした男装の女の子を拾って、彼らは何曲か歌をうたった。
それだけの、全体としてはとても暗いトーン(暗いけど色彩処理が素敵)の、しかし最後の最後、闇空に星が降ってくるような映画に『フランス』というタイトルをつけてしまうこと。


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