7.04.2023

[theatre] National Theatre Live: Othello (2023)

6月27日、火曜日の晩、Tohoシネマズ日本橋で見ました。
原作はシェイクスピア、演出は黒人のClint Dyer、舞台装置はChloe Lamford。

オープニングで、年代の数字と共に過去の”Othello”の上演の歴史がざっと並べられる。白人の演出家、ブラックフェイスにした白人の演者たちにより、その上演行為そのものが劇の差別的なありようをさらけ出すかのように上演されてきた”Othello”がここ2023年まで来て(わかってるだろうな?)、という幕開け。

背後がだんだんになったシンプルな黒のセットで、そのだんだんに黒くて表情の見えない(黒仮面をした)人々が蹲るように座っていて何か起こると一斉にそちらを向いたりして、音楽というより音響は終始ぶぉーんぶぉーんていう圧迫する重低音(これちょっと苦手)がホラーのように仰々しく鳴っている - 社会システムの監視の目のようなばちばち光ったり点滅したり、見えにくいなにかを暴こうとする力がある/いる、と?

16世紀のヴェニスで数多くの武勲をなしていろんな方から崇められて敵なしの将軍Othello (Giles Terera)がいて、元老院議員の娘で聡明で快活なDesdemona (Rosy McEwen)とはずっと相思相愛の仲なのだが彼女の父はムーア人である彼との結婚にあまりよい顔をしなくて、でもふたりは結婚するとすぐそのまま戦地キプロスの方に手を繋いで向かってしまう。

常に方々から注目され、今回の結婚でさらに驚きをもって讃えられるスター軍人Othelloを妬んで憎む旗手のIago (Paul Hilton)はなんとか彼を貶めようと、Desdemonaに憧れるRoderigo (Jack Bardoe)を使って副官のCassio (Rory Fleck Byrne)を酔っぱらわせて失脚させ、それを慰めて復職させようとするDesdemonaの動きを浮気としてOthelloの胸に刺さるように仕込むべく、妻でDesdemonaの付き添いのEmilia (Tanya Franks) - 頬に痣があるのと彼女の怯えた挙動からDVを受けていることがわかる – にDesdemonaが浮気をしている証拠に繋がりそうなものを手に入れろ、って指示する。

そうやってEmillia/Iagoが手にいれたOthelloがDesdemonaに贈った最初の、大切な贈り物 – Othelloの母のハンカチ – をチラつかせCassioのDesdemonaに関する風評などを吹き込んでじりじり押して、その横でCassioをめぐるコントのようなテンポの殺傷劇が展開されると、戦争の只中のいろんな緊張感で筋肉が膨れあがっていたOthelloは木の枝が折れるようにあっさりとダークサイドに堕ちていって、その頭のなかの嫉妬と被害妄想の嵐が彼の目を塞いで、Desdemonaに手をー。

片方に狡猾な小悪党のIagoがいて、反対側に揺るがないと思われたOthelloがいて、一点の曇りのない人格者でパーフェクトな小娘のDesdemonaがいて、その横にIagoに虐待されてきたEmiliaを置き、これらの周囲に婚姻関係をめぐる偏見、差別 - 人種差別 & 性差別、妬み、恨み、高慢、憎悪、暴力などを見渡せるパノラマを示す、とそのありようが全員の立つ床をぶち抜いて一気に地獄に突き落とす、そのわかりやすさと、わかりやすさ故のこれってなんなの? なんでそんなちょろいことが? という(今更の)驚き。

古典悲劇を現代に蘇らせた、なんていうレベルではなく、これはそのままふつうに現代の悪とか虐待とかヘイトの痛覚に直結しているかんじにわかりやすく、その根にネタのようにして散りばめられた憎悪って実はこんなに昔からあるものなんだ、ということよりも、お金持ちたちの鑑賞用に消費される「悲劇」からここまでぶつけてくるものになるまでにどれだけのDesdemonaが、Othelloが死んだり殺されたり傷つけられたりしてきたのだろうか、とか。

他方で、ここまでストレートに「悪」がもたらされ簡単に拡がってしまうのであれば、もう戦争なんてなんだそれ - 最近の軍人なんてただのやくざでしかないし - ほんとにろくでもない世の中になっちまったもんだわ、って一回転してシェイクスピアの時代に戻っているかのような変な感覚。DesdemonaとEmiliaとBiancaをめぐる女性たちの話も見えたりするとやはり現代の話かな、とも思ったり。どっちにしてもいろんなことを考えさせてくれたりなので必見で。

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