7.24.2023

[film] 夢の涯てまで (2023)

7月17日、月曜日の晩、菊川のStrangerの『まだ観てなかった!/もう一度観たい! 邦画セレクション Vol.2』という企画で見ました。英語題は”Till The End Of The Dream”。

構成・編集・監督は草野なつか。24分の短編だが、こんなの必見だし。

「私は広島に行ったが、何も見えなかった」という女性の独白から始まる。おそらくその女性の住居なのかアトリエなのか、彼女は穴倉のようなところで(後の会話で明らかになる)アイスランドの妖精の絵を描いたりオブジェを作ったりしている。

その部屋に訪問者とは別の椅子に座った男性がいて、写りこんでいる。「写りこんでいる」としか言いようのない距離感空気感があるので - その写し取り方については技術的ななにかがあるのかも - 彼はもうこの世にいない人なのだろう、という推測がたって、それが何度かの部屋のショットと共に固まっていく。

その部屋の女性はそこから(あ、時系列は不明)古書店に入り、馴染みらしい店主と萩の月を食べながら彼に広島についての本を探しているのだが、と頼むと店主はすらすらとそこにあった数冊をピックアップして(久々に二階堂和美さんの名を聞いた)、しばらくしてその中からなのか原民喜の詩が朗読される。

世田谷経堂(古書店)、広島、アイスランド(妖精たち)、イタリア(本に挟まれていた展覧会のチケット) - いくつかの土地を巡りつつ、カメラはそのお堂のような部屋と誰かが座っていた椅子に戻る。- 「何も見えなかった」…

杉田協士『春原さんのうた』 (2021)もあると思うが、大島弓子の短編に似たようなのがあったような.. って探しているのだがでてこないー

24分にここまでのものを重ねて広げることができる、という驚異も。


NOUS (2021)

7月15日、土曜日の晩、日仏学院で見ました。上映後に監督Alice Diopのトーク付き。 映画の方は2月に見ているので、ここではトークで話されたことを中心に。

パリを南北に走るRER(イル=ド=フランス地域圏急行鉄道網)B線を舞台としたフランソワ・マスペロの本 『ロワシー・エクスプレスの乗客』(1990) - 彼が写真家アナイク・フランツとともに同路線沿いを旅した1ヶ月間の旅行記 - と、2015年1月7日に起こったシャルリー・エブド襲撃事件後に行われた1月11日の「共和国の大行進」というスペクタクルにインスパイアされて - 順番としては、テロの後にマスペロを読んだ - 自分に何を撮れるだろうか、という意識を転がしながらカメラを持たず、駅前の宿を転々と泊まったりしながら1カ月くらいかけて散策し、そこに暮らす人々と知り合い、多くの見えていない/見えないことにされている人々がいることに気づいた。

その1年後に再び彼らに会いにいってカメラを回し始めて、イメージしていたのはジョイスの『ダブリン市民』 - ひとつひとつの断片を重ねて見えてくるもの、そしてそこにカメラがあることで自ずと語りだす何か、を捕まえられれば、と。

Frederick Wisemanが”Belfast, Maine” (1999)などで試みたコミュニティの交響楽を作るような視点については、個人的にはちょっと違うかも、と思っていて、Alice Diopの場合ははっきりと自身の家族や移民としての自分のありようも含めて画面に置いて晒しているように思うから - Wisemanは語りたい自分を周到に不可視な場所に置いているのでは。

そしてトークの間に何度も言及されたフランスでの警察による少年の殺害に端を発した大規模な暴力の連鎖 - そのきっかけも含めてアートに何が可能かを問うてきた自分はいま大きな喪失感と無力感に苛まれている、と。

最新作の”Saint Omer” (2022)にもあった無人の町の風景が何度も映し出されること - そこに映らなかった人々のことも狙ったものなのか、についてはドアノーの写真にある郊外の姿など、過去の作品を参照しつつ最良のかたちを探している、と。

あと、危険な場所として描かれがちなパリの郊外のアンチのように描かれているような点について、郊外のシネアスト、というようなレッテル貼りには抵抗したい。フランスのマージナルなところをフォルムを重視して描いていく作家としてやっていきたい、と。

すでにどこかで見えなくなってしまったあなたを探そうとする『夢の涯てまで』と、ずっとそこにいたのに見えていなかった「私たち」を見出そうとする”NOUS”と。どちらも詩や文学があって、でもそれを映像が目の前に広げてみせる。

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