7.28.2023

[film] Houria (2022)

7月23日、日曜日の午前、新宿ピカデリーで見ました。邦題は『裸足になって』。

”Papicha”(2019) -『パピチャ 未来へのランウェイ』の監督Mounia Meddour & 主演Lyna Khoudriのコンビの次作 - 最新作、ということなら見なきゃ、と。

Houria (Lyna Khoudri) – “Houria”はアラビア語で「自由」の意だそう – はアルジェリアでプロのバレリーナ - クラシック寄り - になるべく厳しい練習の日々を送っていて爪先はボロボロなのだが、一人前のバレリーナとなってここを抜けて世界を回りたい、という夢があるので歯を食いしばってがんばる。同じ夢を見ている親友のSonia (Amira Hilda Douaouda)は、それもいいけど密航でスペインに渡る手もあるよ、とそっちの方のツテを探している。

一緒に暮らす母Sabrina (Rachida Brakni)のために車を買ったりお金も稼ぎたいし、と深夜に町の隅でやっている闇の闘羊 - トランプとかオバマとかいう名前をつけられた羊たちが角と角をぶつけあうの、あんなのあるんだ- にこっそり出かけて賭けて稼いだりしていると、負けてイラついた変な奴に目をつけられ、帰り路に追いかけられて乱暴され、石段から突き落とされて足首を折って、ショックで声も失ってしまう。バレリーナの道は簡単に消えてしまう。

顔の傷が消えてもリハビリをしてもなにをしてもお先は真っ暗で、自分はもう死んだのだ.. って塞ぎこんでいるばかり、なのだが、リハビリ施設にいる女性たちも同様にテロや男性の暴力に叩きのめされ悲惨な道をたどって傷ついたり喋れなくなっていたり、そんな彼女たちと水泳をしたり手話を習って会話したりしながら少しづつ近寄っていって、流れてきた音楽に体をあわせて揺らしてみるその顔と動きはマジに漲っていて、あなた踊れるのね!ってみんなが寄ってきたので、じゃあなんか踊ってみようか、って。

そして仲介業者が見つかったから、って切ないお別れのハグをしたあと、夜中の海に漕ぎ出していったSoniaは…

“Papicha”も学校に通いながらファッションデザインの世界で夢を見ていた女性が理不尽な暴力で唐突にどん底に落とされて、そこから仲間と手を取りあって前に進もうとするお話しだったが、最初の方で描かれる登場人物たちが見つめる将来の夢も含めた世界と、そこから騙されたり壊されたり叩き落された後の世界のギャップがものすご過ぎて、実際のアルジェリアの社会はもっと陰惨できついのかもしれないけど、はぁ… しかない。 Houriaを襲った男は恩赦で刑務所から出てきた奴で、彼女を暴行した後も平気で郵便配達とかをしたりそこらにいて、警察はすっとぼけて何もしてくれない、とか。

それでも、というかだからこそ、というか、カメラはHouriaと彼女の周りの女性たちのできる限り近くにあって寄り添い、彼女たちひとりひとりの身体の動きや眼差し、息遣い、それらを取り巻く美しい海の光や風をとらえて、その時を刻みこもうと、そういう女性映画であろうとしている。なかでもHouria - Lyna Khoudriの目 - 死んだ目も生きた目も – の強いこと。

もちろん、それだけで、そんなんでよいの? というのはあるのかもしれない。男性社会の野蛮で腐った地獄の闇と傷ついた女性たちが築いた壁のなかの庭園のような、でも光に満ちた世界があまりにきれいに分かれすぎているようで、ただのファンタジーになってはいないか、など。いや、ファンタジーであったとしても、これはこれで壁を厚くして彼方に弾きとばしてしまえばよいのだと思う。現実が実際にあんなふうなのだとしたら。あと、この「あんなふう」なありようは日本でもそんなに変わらないよね。

でも、他方で”Atlantique” (2019)のようなやり方もあったりするのだから、とか。

終わりの方で再びダンスに向かおうとしているHouriaが読んでいた本はMarie-Claude Pietragallaさんの、だった。なぜダンスなのか? なぜファッションなのか? にはおそらくはっきりと答えがあって、まずはとにかくわたしを見よ、ってLyna Khoudriが示して迫る。

ああ旅にでたい、とか思ったり - なんでだろう?

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