7.07.2023

[film] Bob le flambeur (1956)

6月30日、金曜日の晩、日仏学院のジャン=ピエール・メルヴィル特集で見ました。メルヴィル没後50年だそう。メルヴィルならなんでも何度でも見る派。邦題は『賭博師ボブ』、英訳すると"Bob the Gambler”なのだが、英語圏でも原題のままで通用している。

Auguste Le Bretonの犯罪小説を元にメルヴィルが初めてオリジナル脚本を書いたもの。そこにいるだけ、あるものを撮る、みたいにぶっきらぼうでかっこいいカメラはHenri Decaë。

冒頭の早朝のモンマルトル、ピガール広場の様子がすばらしくよくて、何度か寄ったことしかないけど、60年以上前のだけど、朝ってあんなだよねえ、っていうくらいパーフェクトな街の朝の光景がある。後のトークでこの場面の撮影に14日間かけたことを知る。それくらい念入れて手間が掛かっているかんじ。そこに落ち着いた(そんなに気合いの入っていない)メルヴィル自身によるナレーションが入り、背景に絶え間なく流れて続けていて場所場所で切り替わっていく軽音楽がおもしろい。その場所で本当に流れているのとサントラが絶妙に絡みあって、ギャングたちの影が浮かびあがる。

賭博師のBob (Roger Duchesne)がそんな朝の光景を抜けて自分のアパートに戻るところで、同じく朝帰りぽい女の子Anne (Isabelle Corey)を見かけたり、彼の落ち着いた物腰と風格、若者やくざのPaolo (Daniel Cauchy)とか刑事のLedru (Guy Decomble) – Bobに救ってもらった借りがある - とかのやりとりから堅気じゃなさそうなことはすぐわかる。アパートの部屋にも仏壇のようにスロットマシンがあり、拾ってきたAnneを連れてきても特になんもしない。無口だし表情変えないし何考えているのかさっぱりだし、落ち着きすぎてて負けてぼろぼろ大出血しても痛くなさそうで、そんな彼が元仲間の金庫破りのRoger (André Garet)から – 彼も又聞きなのだが – ドーヴィルのカジノの金庫に競馬用の8億フランが運ばれて待ってる、と聞いて銀行強盗でもやるか、ってなる。

いろんなツテを頼って資金を調達してカジノのフロア図や金庫の情報を集めて、実行部隊みんなで原っぱに白い線ひいてリハーサルをして、準備を整えていくのだが、Paoloがベッドでその計画をAnneに喋って、それがLedruの耳にも届いて、彼はまさか、っていうのだがどうやら本当らしい。

そんなふうになって、ばれているからやめさせなきゃ、っていうのと今度のは間違いないからやれる当たるやったれ、っていうのがせめぎ合うなか、決行の午前5時前少し前、時間潰しで賭博場に首をつっこんだBobがちょっと賭けてみたら大当たりして止められなくなり、号令かけるのをミスってPaoloが撃たれて..

スリリングな犯罪スリラーの体裁をとるようでいて、実際少しはどきどきするものの - 成功して笑うのでもなく、失敗して消されるのでもなく、裏切りや騙しによって血まみれ涙まみれになるのでもない。 時間と共に膨れあがっていく迫力と緊張感をなぎ倒すように暴力やアクションが炸裂する、そういう方には向かわなくて、結局Bobは賭博師であって銀行強盗ではなかったのか… というそれだけの話として終わる。Bob.. あんたなにやってんの? しかないのだが誰も彼にそれを言わないし、言ったところでなんになろうか、っていつもの顔でー。

上映後の須藤健太郎さんのトークがおもしろくて、偶然性に支配された(そこに魅せられる)賭博と綿密な計画と資金と人的リソースが要求される銀行強盗はそもそもの方向性が真逆で、後者の工程はほとんど映画製作のそれに似ていて、つまり映画製作とは銀行強盗みたいなものではないか、と。そして、今回の強盗で監督の立場にあったBobはじつはなんもしなかった(しないで済んでしまった..)と。確かに。 ギャンブルのノリでイチかバチかの銀行強盗を狙ったのか、とも思ったのだが、やっぱり違うもので(前科もそれだった?)、その世界に染まれずにあんなふうになってしまったのかしら? この線でいくと詐欺師は小説家に近いのかしら、とか。

Roger Duchesneの、無口でなに考えているのか一切掴めないでくのぼうぶり - なのに(だから?)かっこよくて、彼がべらべら喋りだしたらサッシャ・ギトリみたいになるのかも、と思ったら彼はギトリの“Le roman d'un tricheur” (1936) - 『とらんぷ譚』に出ていたのだった。

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