7.29.2022

[film] スープとイデオロギー (2021)

7月16日、土曜日の昼、ユーロスペースで見ました。自分のお勉強のため(とスープが好きだから)。

監督のヤン ヨンヒさんが自身の家族をテーマに監督、一部撮影、ナレーション、出演などなどをしているドキュメンタリー。彼女の作品を見るのは初めて。

大阪の一軒家にひとりで暮らすヨンヒさんのオモニ(母)の様子を描きながら、家族の肖像が紹介されていく。既に亡くなっている(過去の映像や写真で少しだけ出てくる)父は朝鮮総連の活動家で監督の兄3人や自分の妹や弟もすべて「帰国事業」で北朝鮮に送りだされて、彼らに対する送金をずっと(父の死後も)続けている – それは後で母娘の蟠りとして表にでる。

ある日、オモニがでっかい丸鶏のおしりにごろごろニンニク、棗などなどをぱんぱんに詰めて糸で縛って4時間煮込む、ってのをやっていて、そこにスーツを着た荒井カオルさんという男性が現れて、彼はヨンヒさんの婚約者でパートナーとなる人で、彼はスープを戴いて結婚の承諾をもらって民族衣装を着て写真を撮って(素敵な写真!)結婚する。なんでそういうのを撮るのかというと、両親 - 特に父は日本人との結婚は許さん、と言っていたけど別にわるくないよね、って。ほんとのところ荒井さんはふつーに受け容れられて、オモニのレシピと指導のもと、ひとりでスープを作れるまでになっていく。

というところに、オモニにアルツハイマーが発症して、過去現在の脈絡なくいろんなことを語りだす中、ヤンニが思いもよらなかった過去 – 18歳だったオモニは1948年の韓国・済州島での「済州4・3事件」の渦中にいて、当時の婚約者を事件で(行方不明状態となって)失い、ぎりぎりのところで弟や妹を抱えて日本に逃げた – について語り始める。

それはもちろん、ずっと実の娘にも語らずにきた封印された過去なので、思いだしたくもないとても辛いことだったのだろうし、それ故にすらすら出てくるものではないだろうが、ヤンニはその断片だけでも繋ぎ合わせようと思う。それは自分の家族の起源を探ること、自分がどこから来たのかを確認する旅でもあるので。

オモニは大阪に生まれて在日コリアンとして育って、15歳の時に日本が空襲で危なくなってきたので親戚のいた済州島に疎開して、戦争が終わってもそこに残って婚約者とも出会って、でも事件 - 当局による住民の虐殺が始まり、医師だった婚約者は村の様子を見にいったまま行方がわからなくなり、軍に見つからないように夜道を抜けながら日本に向かう船 - オモニの母が大阪に戻っていた - が出ているという方に半日くらいかけて歩いた、と。虐殺の酷く生々しい描写は最初の方に口述で語られ、あとはアニメーションで描かれる。

後半、オモニの記憶の淵を更に掘り下げられないかと、韓国が国として催した追悼イベントに母を連れて参加して約3万人が「共産主義者」として虐殺された跡地とか地の果てまで続く墓石とか、婚約者に近かった人の名札とかを見せてみるものの、もちろんオモニに新たに灯る火とかはない。でも彼女が死を覚悟して心細く歩いた夜道がどんなだったか、それが彼女のその後の人生に国への帰属意識も含めてどんな深い傷を負わせたのか、はよくわかって、それはオモニのため、というよりやはりヤンニの(おそらく抱えこんだ怒りとか憤懣とかの)ため、だったのではないか、と。

で、これってもちろん、隣の国で起こって負った過去の傷とその後のケア、だけの話ではなくて日本だって、日本の今の隣国に対してずっと通している態度あれこれ、いろんな経過にも – 最近の「カルト」と呼ばれているあの界隈にも間違いなく繋がっている(はず)。だから他人事にはするな、ひとの死をありものとして放置するな、って(オモニのところに葬式見学会のチラシを送ってきた業者に対する荒井さんの怒りなども)。

イデオロギーが今もすぐ隣の人々を殺し続けている、ということ(それを言ったとき、イデオロギー = 共産主義としたがる人々のなんと多いことか)と、その反対側で人を生かして(鶏はしぬけどな)繋いでいくスープのこと。我々はスープを作るんだよ、っていう。そういえば、コーシャーのチキンヌードルスープもおいしいよね。

オモニがもう会うことができない家族の写真を並べて見ていくところはじーんとくる。ユダヤ人の家族写真を見るときも、シリアの、ミャンマーの、ウクライナの家族を見るその肖像たちも延々連なって、重なっていくの。 こういうの、もうやめよう。

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