7.22.2022

[film] メタモルフォーゼの縁側 (2022)

7月9日、土曜日の午前にTohoシネマズ日比谷で見ました。なんとなく。
鶴谷香央理の漫画(未読)の実写化だそう。監督も脚本のひともほぼしらない。

一軒家で書道教室をしながら一人で暮らしている75歳の老婦人 - 雪(宮本信子)がいて、夫の三回忌の後に涼みに入った書店でなんだか表紙がきれいね、ってBL漫画 - 『君のことだけを見ていたい』っていうの - を手に取って家に帰って読んでみたらその描写とか筋運びにあらあらあら(好き)ってなって、翌日に続きが読みたくなって本屋に通っていくうちに、そこでバイトをしているややぼーっとしがちな17歳の女子高生うらら(芦田愛菜)が声をかけて在庫になかった巻を取り寄せてあげたり、そのうち雪の家にあがりこんで縁側でその漫画についてだけじゃなくて他のBL漫画についても語りあうようになって、その縁側がふたりのメタモルフォーゼの陽だまりになるの。

自分の読むBL漫画は段ボール箱に入れて隠しておくくらい内向きだったうららなのに、どこかにはっきりと火がついて、その熱量に自分で描いてみないの? って言われた彼女はへたくそだけど描いてみようか、って入門書を片手にぎこちなく描きはじめて、同人漫画の即売会「コミテイア」への出店に出店すべく書道教室に親子でやってくる印刷屋(光石研)に頼んだりしてがんばるのだが..

他にうららが唯一ふつうに話すことができる幼馴染の同級生(高橋恭平)とか、彼が想いを寄せるものの海外に留学することになるちょっとかっこいい同級生とか、『君のことだけを見ていたい』の作者で、ちょっとスランプになっているコメダ優(古川琴音)も出てきたり、他にはノルウェーに暮らしているらしい雪の娘とかいつも元気で素敵なうららの母とか、悪い人がちっとも出てこなくて(ふだんいかにそんなのばっかり見ていることか)、この調子で雪が病に倒れて死んじゃったりしたらただじゃおかないからな、って思って祈るように見ていたのだがそれもなかった.. すごい。

なんか雪が「あたしずーっとこんなふうに漫画の話したかったの」って心底嬉しそうに言って、それにうららが応えるあたりからずっとずるずるし始めてうららの描いたボウイとしか言いようのない漫画とか「こんな完璧ないちにち」っていうあたりで決壊して止まらなくなる。もう、まんなかのふたりの女優が本当にすばらしいから、としか言いようがない。彼女たちこそ完璧な一日を演じることのできる完璧なふたりで、彼女たちの輝きが周囲を照らしてあの縁側に導く。

BL漫画というのをよく知らなくても - えーとリアルタイムで読んでた『日出処の天子』とか「エロイカより愛をこめて』とかってここに含まれるの? - その登場人物たちが抱えこんでいて表に出せないなにかとか、それでも彼らの背中を押しにいくなにかなどは十分に想像したり痺れたり共感したりできるもので、雪とうららを惹きつけて彼女たちを縁側で結びつけたのも、BL漫画の底に流れるそんな何かたち故だったのではないか、とか。(たぶん、出会った作品によるところが多いはずなので言い切れるものではないだろうが)

それは”Aladdin Sane”の頃の満身創痍のBowieとか”Perfect Day”を歌った頃のLou Reedとか、彼らがせつせつと眺めてなにかを思いがけず再発見することでもあって、こんな形で拾いあげてくれて繋いでくれてありがとう、って雪とうららの間の年齢(そうとう雪寄り)に挟まる者は思ったのだった。

あー スマホでひとのtweetみて時間を潰したりするのよか、縁側でだらだら映画とか音楽のことを喋ったり料理作ったり食べたりしてごろごろ過ごしたい、それだけでものすごく遠くにある「完璧な一日」の気がしてしまうのねえ。 それをあんなふうに見せてくるからー。 とにかくよかったねえ、って幸せになれる、珍しいくらいにそれだけの映画で、それでよいの。

しかし書店のBL漫画のコーナーって、やはりなんか躊躇してしまうのはなんでか。少女漫画の方はまだ平気なのに。自分のどこかになにかバリアがあるのかしら。

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